佐藤渡辺のホームページを見に人に、舗装の話ばかりでは退屈だろうと、日本の祭りとか、外国の人に興味のありそうなことを紹介していたのですが、研究所のさる女性から何が書いてあるのか見たいとの仰せがあり、美女の言うことには一も二もない私は、逆に和訳することになりました。外国のひとにこんな感じで紹介しているのだな、と見てください。 | |
いろは歌: 日本のアルファベット 右の図は言わずと知れた「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこゑてあさきゆめみしえひもせすん」を漢字混じりにしたものです。この"いろは"には深遠な意味があるということは昔から知っていて、全体の調子は何となく「諸行無常」と言っているのは分かりますが、逐語的に説明しろ!と言われると、はた、と困ります。 色は匂へと散りぬるを 我が世誰そ常ならむ 有為の奥山今日越ゑて 浅き夢見し酔ひもせすん これを果たしてどう現代語訳するのか?前半の部分は意味は割かし明瞭です。ですが、後半の部分についての説明はこれまで聞いたことがありません。ネットで探しても決定版はなさそうです。あえて私流の解釈に挑戦してみました。 | | |
はじめに断っておきますけど、このページは日本の古文を勉強する気がなければ役には立ちません。ただし、日本の文化を理解する助けにはなるでしょう。 日本のアルファベットは深い意味を持っています。上の図が毛筆の手書きのスタイルで書いてあります。1800年代後半になるまでは毛筆が唯一の筆記用具でした。教育のある人は皆、このエレガントな文字を書いていました。 上のの図は意味がはっきりするように漢字(中国の文字)を混ぜて書いたものです。 どう読むかを下に示します。 いろはの文字の読みに従って | | 漢字をまぜて意味をはっきり | i-ro-ha-ni-ho-he-to | chi-ri-nu-ru-o | wa-ka-yo-ta-re-so | tsu-ne-na-ra-mu | u-i-no-o-ku-ya-ma | ke-fu-ko-e-te | a-sa-ki-yu-me-mi-shi | e-hi-mo-se-su-n |
| | iro-wa-nio-e-do | chi-ri-nu-ru-o | waga-yo-tare-zo | tsune-na-ra-mu | u-i-no-oku-yama | (kyoh)-ko-e-te | asa-ki-yume-mi-shi | e-hi-mo-se-zu-n |
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漢字混じりではいくつか不規則な点が見られます。 は"e"と読ませています。現代でも を"e"と読む場合はありますが、この場合は現在ではでなければなりません。 は"kyoh"と読ませています。これは歴史的仮名遣いの特徴の一つです。ほかにも、 は"shoh"と読み、 は"choh"と読みます。 は"i"と読ませています。この歴史的仮名遣いは1946年までは標準でした。もう一つ付け加えるなら、もっと古い時代には""は用いませんでした。どう読むかは文脈から判断することになっていました。 さて、どういう意味でしょう? 理解はできないと思いますよ。別に貴方が不勉強というわけではありません。なぜなら日本人も誰も正確な意味は知らないのですから。 でもって私が私なりの解釈で翻訳してみます。 美しい人も花のように散っていく。この世で誰が永遠で有り得ようか? 今日も現実の世界の困難を乗り越えて、 僅かの良い目も見たがそれに酔ってはいられない。 英語への直訳もお目にかけましょう。これで何か理解できる人はまずいないでしょうけど。 As colors smell but fall.Who are eternal in our world? Today, I went through deep mountain of existing form, and saw a shallow dream without being drunken. 色は詩の中では美とか魅惑をあらわすことがよくあります。今でも "彼女は色気がある" といえば "She is sexy"だ、という意味ですが。最初の二行は比較的分かりやすくて誰の解釈も似たものです。後半の二行は難しくて解釈が 分かれるところでしょう。有為は現実の世界と解釈しています。奥山を越えるは困難を乗り越えると解釈しています。夢は普通は幸せなものを期待します。日本人は幸せに酔いしれることがありますが、外国の人はどうなんでしょう。幸せはかなり酒と似てませんか? 05/Jun/28 たまたま、 ドイツのサイトで いろは歌の意味を書いたものがありました。次のように書かれています。Die Blüen duften zwar, doch sind sie abgefallen. Wer denn in unserer Welt wird unvergänglich sein? Die Berge fernab von den Wechselfällen (des Lebens) heute überschreitend, werde ich keine seichten Träme mehr trämen bin auch nicht berauscht. 私なりに和訳すると、 花(栄光)は香るが、落ちて行く。 この世で誰が不死であり得ようか? 今日、奥山(浮沈の激しい人世)を越えて、 もはや浅い夢も見なくなり、酔うこともなくなった。 これは日本でも見られる解釈です。「ゆめをみし」を「夢見し」ではなく「夢見じ」と否定形とするものです。奥山を越えるのは「悟りを開く」と解釈するようです。どちらかというと多数派でしょう。私は「悟りを開く」のが嫌いで死ぬまで女性の色香には惑わされたい、と思っていますので敢えて別解釈をしたわけです。ある意味、悟りを開いているのかも知れませんが。「酔わなくて何の酒ぞ?」 07/Mar/25 多分、台湾の掲示板サイトにこのページのいろは歌の画像がリンクで表示されていて、漢文での意味の解釈が記されていました。参考までに引用しておきます。 http://www.hakushido.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=5&ID=355&page=1
伊呂波歌(いろは歌)可以説是日語的字母歌。它把47(48)个字母,毎个使用一次,所以就像英文的字母歌一?。而歌詞本身,是一首?人深醒的佛謁。
漢語?文: 花開溢香,然而不日也会凋謝; 我世之人生又豈有終此不?? 如今将超越此生,渡无常之深山, 速从浅梦中醒来,莫?迷。悟りを開く方の解釈のようです。 | |
ついでにいろは歌の作者は誰か?、空海つまり弘法大師、柿本人麻呂、源為憲、菅原道真などが候補として挙がっています。これだけあるということは、わからない、ということでしょう。とにかく頭のいい人には違いありません。 作者に絡んで実は暗号が埋め込まれているという説がかなり有力です。私は信用しませんけど。いろは歌を7文字ごとに区切って、最後の文字を並べると、「とかなくてしす」となり、これは「咎なくて死す」となり、非業の死に近い生涯だった柿本人麻呂とか菅原道真が擬せられています。こんな読み方をしたら、この雑文の中にもどんな暗号が潜んでいるやも知れません。
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