トップページへ建設用語中辞典
(英仏独和)
世界の文化世界の国名・
 国旗の由来
国名から探す
和訳・日本の文化韓国地図検索ソウル地図検索釜山地図検索作者のページ
県別自治体リンク50音自治体リンク面白いサイトスパム紹介(日記)お問合わせ
このページだけが表示されたときは、こちらをクリックしてください。

ザンビア(Zambia) .zm

首都 ルサカ (64 万) (Lusaka)

 アフリカ南部の内陸国。公式名 ザンビア共和国, 人口 10,462,436人(2004)。国土面積 752,614 km2。ほとんどがバントゥー系諸部族. 言語: English (公用語だが使用者は少数), Bantu 系諸語 (Bemba, Tonga, Nyanja など)。 宗教: 土着信仰, キリスト教, ヒンドゥー教, イスラム教. 通貨: kwacha。もと Northern Rhodesia, 1964 年独立, 英連邦に加盟。
 2000年くらい前、原住の採集民族が先進民族に取って代わられはじめたようです。15世紀にはバンツー族が流れ込みはじめ、17世紀末から19世紀はじめにかけて最高潮に達しました。かれらは主として現在のコンゴ民主共和国南部およびアンゴラ北部からやってきましたが、19世紀には南から来たンゴニ族と合流して19世紀後半には現在のザンビアが形成されました。
 ヨーロッパ人は時折、ポルトガルの探検家が来たほかは数世紀にわたってノータッチでした。19世紀半ばになって探検家、宣教師、商人が来るようになりました。リヴィングストンはザンビア川の壮大な滝を見た最初のヨーロッパ人で、ビクトリア滝と命名し、その近くの町は彼の名前に因んで命名されました。
 1888年にイギリスのセシル・ローズ Cecil Rhodesが地方の族長から採掘権を獲得し、イギリスはローデシアを影響下におきました
。ローデシア Rhodesiaはローズの名前から取ったようですが、現在は北がこのザンビアと南がジンバブエです。そして保護領とかにしていました。北部ローデシアと南部ローデシアは、分離して統治していたようです。
 1953年に南北ローデシアは東隣のニャサランド Nyasaland、現在のマラウィと中央アフリカ連邦を組みますが、現地人の政治参加要求とヨーロッパ人が政治権力への執着で特に北部ローデシアで、たびたび暴動になっていました。1962年にどういう仕組みか知りませんが二段階選挙が実施され、アフリカ人が多数を制し、北部ローデシアは連邦を離脱する決議書を可決し、翌年、連邦は解消され、1964年、北部ローデシアはザンビア共和国となりました。南部の白人の支配するローデシアも1965年に独立を宣言します。
 アフリカ人が政権を握ってみると、もともとは鉱物資源に恵まれているのですが、政府運営を託せる教育を有する人物は少なく、経済は外国人に握られているという困難に直面しますが、それでも白人支配に対する抵抗派を支援し、西隣のアンゴラ解放連合(UNITA)やジンバブエ人民連合(ZAPU)、南アフリカのアフリカ国民会議(ANC)や、南西アフリカ人民機構(SWAPO)などを援助します。
 結果、南部ローデシアとの国境は封鎖され、電力と鉄道輸送の危機に直面しますが、ザンベジ川に建設した Kariba水力発電所が必要をまかない、鉄道は中国の援助で東隣のタンザニアのダルエスサラームまで通じました。ところが周辺の元ポルトガル領・モザンビーク、アンゴラは1970年に独立するのですが、内戦が起こり難民が押し寄せてくる、西海岸への鉄道はアンゴラを経由するのですが、輸送がままならない、ANCを支援していたため、南アフリカがザンビア内のANCを攻撃するといった具合、加えて、主要な輸出品たる銅の値段が下落して経済困難に陥り、1990年代にはザンビアの一人あたり負債は世界最高
になりました。
 国名はザンベジ川の名に由来します。バンツー語で zambezu 「巨大な水路」という意味だそうです。
 国旗は国土を表す緑をベースに、自由を勝ち取ったワシの紋章と、三色旗みたいな部分の赤は独立のための戦い、黒は国民を、オレンジ色は豊かな鉱物資源を表しているそうです。
駐日ザンビア大使館(外務省のページで住所がわかるだけです。)
アフリカの地図

↓ザンビアの地図