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イェ−メン(Yemen) .ye

首都 サヌア (15 万) (San'a, Sanaa)

国際電話番号: 967

 アラビア半島南部の国; 公式名 イエメン共和国。人口 19,349,881人(2003)。国土面積 527,970 km2。アラブ人。言語: Arabic。宗教: イスラム教。 通貨: rial。
 首都の Sanaaは最古の都市の一つだということですが、変わった名前です。語源は Britanicaとか Encyclopedia、Wikipediaにも記載がありません。分からないくらい古いのでしょう。わずかに見つけたのはBBC NEWSで "fortified place" つまり要塞というのがありました。そのほかではイギリスのイェーメン協会みたいなところの記事にサヌアのガイドが Sanaは民芸品と結びつけて「腕利き」と説明するが、ほんとは "well fortified"という意味だとあります。まあ、似たものです。守りの固い町だったのでしょう。
 古代の Sheba 王国の地に相当していて、オスマントルコの支配下にあった北イエメン (1918 年独立: 首都 San'a) と英国支配下にあった南イエメン (1967 年独立: 首都 Aden) に分かれていましたが, 1990 年に両者は統一されました。
 歴史は古く、3500年前にまで遡るということです。首都のサヌアにはイスラム以前の建築があってユネスコの世界遺産にも指定されています。まだ、これから発掘という遺跡もあって、あっと驚くようなこともあるかも知れません。 中東の国にあって珍しく山あり谷ありと地形条件、気候に恵まれていて、ギリシャの地理学者・プトレミーは "Eudaimon Arabia" 訳すると「幸運のアラビア」と呼んだそうです。
 紀元前1世紀にはローマ人が海岸地帯を占領し、キリスト教も伝わってきました。またエチオピア人がペルシャと同盟して別の地方を占領し、ローマ人を追い出しました。イスラム教が入ってきたのは
マホメットが存命中で、以後、ウマヤド王朝などのもとにアラブの教主国の一部になりました。といっても自前の王朝も健在で、中でも897年に興った Shiite Zaydis朝は20世紀まで存続していました。
 1517年以後はオットーマン帝国の傘下に入りますが、実体の権力はザイード朝が握っていました。19世紀にはイギリスが南の方を南アラビア保護領とし、北の方ではオットーマン帝国が1918年に崩壊してImam Yahyaがイェーメン王国を樹立し、革命で共和国になるまで続きました。南の方は1960年代に独立の動きとイギリスの弾圧で暴力の応酬が続き、1967年に独立を果たしました。ソ連の影響を受けて南の方は人民民主共和国と称し、南北の対立が20年ほど続きました。
 そしてソ連が崩壊すると1990年、南北は統一され、現在の共和国になりました。南の方の武装勢力の抵抗はありましたが、何とか安定は保たれ、この国は最初から民主的憲法を制定し、男女両性に選挙権が与えられ、選挙もきちんと行われています。
 2000年にアメリカの船がテロリストに攻撃されましたが、以後、イェーメン政府は暴力的原理主義者の鎮圧
に熱心なようです。
 国名の由来は実のところはわからないのだろうと思います。それくらい古くから、その名前はあったのでしょう。由来に関する記述はみつかりましたが何でも、多分、古文書なのでしようがYMNTとだけ分かっていて、アラブの学者が、 Y M Nの間の母音を変化させて、それらしいものを探したということで、一つは YuMaN を当てて、繁栄を意味する、つまり気候に恵まれ、水も豊富で果物、野菜もふんだんにあるというものです。もう一つは YaMiNを当てて、右側、つまり、イェーメンはメッカの右側にあるから、というもので、何とも頼りない由来なのです。イェーメン情報センタにも、いくつかの説が紹介されています。プトレミーの「幸運のアラビア」に対応する「恵まれた」という意味が、かなり有力なようです。
 この国の位置は、シバの女王がいたシバ王国になるらしいです。異説もありますが、イェーメンの人たちは、それを信じて誇りにしているようです。
 コーヒーのモカはイェーメンで数百年前から栽培され、イェーメンの古い港・モカから輸出していたので、この名前になったということです。今、そのモカ港は景色のいい廃港になっているとのことです
 国旗の赤はやはり血なまぐさく、独立のための革命を意味するそうで、白が平和と希望を表し、黒が暗い植民地時代を表しているそうです。
 イェ−メンの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
イェーメン在米大使館 →イェーメンの歴史(イェーメン情報センタ:英語)
イェーメンの観光地(イェーメン情報センタ:英語)
アフリカの地図 →アジアの地図

↓イェーメンの地図