ウクライナ(Ukraine) .ua首都 キエフ (260 万) (Kiev) ヨーロッパ東部, 黒海の北岸に面する国, 47,732,079人(2004)。国土面積 603,700 km2。ウクライナ人 73%, ロシア人 22%. 言語: Ukrainian, Russian. 宗教: 正教会 (ウクライナ正教, ロシア正教), ウクライナカトリック (ローマカトリックとの合同教会). 通貨: Karbovanet。1923-91 年の間は、ウクライナ共和国 (Ukrainian SSR) の名でソ連邦構成共和国でした。 ウクライナ人はロシアの帝政時代には小ロシア人と呼ばれていました。なぜ、小ロシアなのか?ネットで調べて分かったことは帝政ロシア時代に、一種の蔑称として、確認はできませんが「背が低い」か「才能が劣る」の意味で使われていたようです。実際にそうというわけではないでしょう。圧政のもと、農奴として酷使されて背が低くなったということはあったかも知れませんが、政治体制が変われば日本人だって大きく、足も長くなりますから。ウクライナ人の全てが小ロシア人かというと、西よりのガリツィア地方 Galicyaから西はポーランド系のルテニア人 Rutheniaが多いようです。 04/11/28の朝日新聞に大統領選挙をめぐって関係記事が出ていたので受け売りします。 ウクライナの国民性は東西で大きく異なる。西部住民の多くは、東欧のアイデンティティーを強く意識している。とりわけ「兄弟国」のように感じるポーランドやリトアニアが5月に欧州連合(EU)加盟国となり、「次はウクライナも」と西部住民のEU傾斜が加速した。 混乱の調停にポーランドやリトアニアの首脳が駆けつけたのは、クチマ大統領との個人的な親交だけでなく、西部住民が調停を受け入れやすいと言う判断も働いたことは想像にかたくない。 一方、東部は旧ソ連時代に、工業都市の労働者としてロシア人が移入してきた。ソ連崩壊後に独立した後もロシア帰属意識は強く、ユシチェンコ氏が掲げる「脱ロ入欧」政策に嫌悪感を隠さない。 ウクライナ国内総生産(GDP)の約60%を東部が生み出しているという自負もある。同州経済評議会は、ユシチェンコ氏が逆転勝利と認定された場合、「独立自治州」となることを問う住民投票を実施するよう州政府に働きかけた。 10世紀に、現在のキエフと周辺地域を含むキエフ公国ができたとき、現在のリビウを中心とする西部にはポーランドなど東欧系のスラブ民族が住み、東部の草原地帯では遊牧民が点在するだけだった。その後、東部はモンゴル系民族からロシアの統治へと支配が移った。ポーランドは西部を侵略して支配した。西部ウクライナ語が東欧系言語の影響を残し、カトリック教徒がキエフ以西に多いのはこのためである。東部にはロシア正教とロシア語の影響が浸透した。 16世紀になると、ポーランドがキエフを含む西部一帯を支配し、東部のロシアと対抗した。しかしロシア同化政策を進めるエカテリーナ2世は西進を続け、18世紀末にはウクライナ全土の8割をロシア領に編入。リビウを含む最西端地域がオーストリア・ハプスブルグ家の支配下に入った。現在のウクライナ全土が初めてロシア版図に組み込まれたのは旧ソ連のスターリン政権になつてからである。 もともとの古い歴史はロシアと共有していますので参考にしてください。 詳しい歴史ならウクライナ研究会によるウクライナの歴史があります。リンク切れになっているようなので、Googleの>キャッシュから拾った記述を紹介しておきます。 国名の由来についてはヨーロッパのマスメディアの間で問題視されることがあるとのことです。よく分かりませんが、語学に堪能だと文体に問題があるとか、いうのと、ウクライナは国というよりは地方を指して用いられてきたということのようです。意味としてはウクライナ語のu「地名接頭語」とkrai「辺境」とna「地名接尾語」で「辺境地帯」の意ということで、そこから変遷して本土、自ら切り拓いた土地といった意味を持つようになっているようです。ウクライナの人がそれで良ければいいでしょう。 国旗は「独立ウクライナの旗」と呼ばれる独立のシンボルだったもので、青色は空を、黄色は小麦を象徴しているそうです。 穀倉地帯と言われて豊かな国のはずですが、その実は辛酸の歴史があります。ゴーゴリ作の小説、「タラス・ブーリバ」はウクライナのコサックの勇猛と非情を題材にしていますが、これも、その歴史の一端です。実は、はるか昔、50年以上前にこれを読んだ記憶があって、はたして、誰の作か、思い出せず、かすかな記憶を頼りに、「コサック」と「お父さん」をキーワードにして、Googleで検索したら、一発で「タラス・ブーリバ」が出てきました。ジンギスカンのモンゴルに攻められてキプチャクハンになったり、ポーランドの一部になったり、第二次大戦中はドイツに占領されたり、そのドイツに利用されたコサック兵はソ連に虐殺される、といった具合です。このコサックについて、ずいぶん、ネットで調べたのですが、どうも人種を指すものではなく、中世の封建制のもと、農奴の生活に耐えられずに逃散して徒党を組んだ人たちを指すようです。ウクライナ人のすべてがコサックというわけではなさそうです。この辺の関係をネットで調べてみたのですが、関係のわかるサイトは見つかりませんでした。 ウクライナの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。 →ウクライナ大使館 →ウクライナの歴史 ロシアの歴史(日本ではあまり知られていないだろう、ロシアの生い立ちの歴史は実はウクライナと共有していることが分かります。読み応えがあります。日本語です。) →ヨーロッパの地図 ↓ウクライナの地図
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