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シント・マールテン
(Sint Maarten) .sx


首都 フィリップスブルフ Philipsburg(人口 1,338人)

 国際電話番号 +1-721

 西インド諸島東部の数島と南部の数島から成るオランだ領アンティルの自治領の中のセント・マーティン島という島の南半分です。面積 34 km2。人口 37,429人(2010 通貨、アンティル・ギルダー (ANG Netherlands Antilles Guilden)。

 シント・マールテン島 英語では セント・マーティン島Saint Martinという島があって その南半分がオランダ領のシント・マールテンです。北半分はフランス領でサン・マルタン (綴りは英語と同じです)ということになります。英語では北半分をフレンチ・サイド(French Side)、南半分はダッチ・サイド(Dutch Side)という呼ばれ方もします。
 、1493年にコロンブスが発見し、サン・マルティン島(スペイン語: Isla de San Martin)と命名しました。このマーティンとかマルタンとかはラテン語では Martinusと綴られる人名で 日本ではセント・マルティヌスと呼ばれています。この人物はローマの兵士をしていたころ 雪の中で凍えていた物乞いに自分のマントを与えた。この物乞いが実はイエス・キリストだということが夢で分かった ということです。この夢を ほかの人は信じたようで 聖人としてセントがついたそうで そのセント・マルティヌスの日 11月11日にコロンブスが発見したのだそうです。ですがコロンブスは上陸しなかったし スペインはこの島に興味はありませんでした。
 そこへフランスとオランダはアメリカ近辺の他の植民地との中間拠点として欲しく1631年にオランダは Fort Amsteedamという砦都市を築きます。そしてオランダ東インド会社が岩塩の発掘に成功して軌道に乗せます。フランスとイギリスも植民を開始します。そこでスペインも色気を出して 1633年にはオランダ、フランスを駆逐して占領します。たいした利益がなかったのか1648年には放棄します。そこでまたオランダとフランスが植民を争いますが 南北で二分することで折り合いました。
 例によって奴隷を導入して栄えますが 奴隷の方が人口が多くなるにつれて争いになり 1848年にはフランスが奴隷制を廃止し オランダも 15年後に廃止します。結果 経済は衰退しますが、1939年に港湾が無税化され 観光に力を入れて持ち直してきています。人口も当初の 5,000人が今は 8万に達しています。1994年には形式上はオランダと同等の立憲国家になりました。そうして 2012年11月 国別ドメイン ccTLDの SXを獲得します。
 国旗の色はオランダの国旗と合わせています。紋章の中の建物はかつての政庁 一番上は太陽を背にしたペリカン 楯の左上は国花である黄色セージの花束 右上はフランスとの友好記念碑 楯のオレンジ色の縁取りはオランダ王室への忠誠を示すそうです。下には文字が書いてあって SEMPER PROGREDIENSとあります。「絶えざる発展」みたいな意味のようず。
西インド諸島の地図 この地図に出ていないのでもう一つ大きい西インド諸島の大地図

↓シント・マールテンの地図

シント・マールテンの大地図