トップページへ建設用語中辞典
(英仏独和)
世界の文化世界の国名・
 国旗の由来
国名から探す
和訳・日本の文化韓国地図検索ソウル地図検索釜山地図検索作者のページ
県別自治体リンク50音自治体リンク面白いサイトスパム紹介(日記)お問合わせ
このページだけが表示されたときは、こちらをクリックしてください。

サントーメ-プリンシペ
 (St. Tome and Principe) .st
  (São Tom Prncipe)

首都 サントーメ- (2 万) (St. Tome)

 西アフリカの Guinea 湾の 2 島から成る国(もとポルトガル領)、 1975 年独立。公式名 サントーメ-プリンシペ民主共和国, 165.034。国土面積 1,001 km2。バントゥー系アフリカ人. 言語: Portuguese. 宗教: 主にカトリック。通貨: dobra。
 1469年にポルトガル人が来て、アフリカ本土との交易の基地になると考えたようです。その前から一番西の島には人が住んでいました。1493年から植民が始められ、最初は本国で除け者になったユダヤ人などが送り込まれました。うまいことに火山性の土地がサトウキビの栽培に適することがわかり、今度はアフリカ本土から奴隷を、16世紀半ばにはアフリカの最先頭の砂糖の輸出地になりました。
 しかし、多勢の奴隷を支配しきれなくなって投資もでくなっくなって、以後17世紀半ばくらいには衰退して、今度は西欧とアフリカとの奴隷貿易の中継地になりました。19世紀はじめに今度はコーヒーとココアの栽培の適地とわかり、1908年には世界最大のココア産地となり、今でも重要な作物になっていますが、奴隷制は1876年に廃止したものの実質的には奴隷同様の労働が20世紀後半まで続きました。1953年には暴動で数百人の労働者が殺されるといったことがあり、1975年にようやく独立しました。
 その後は1990年に憲法によって反対党も許す多党制の政治体制に移行し、2003年には軍部によるクーデターがありましたが、一週間で交渉が成立して元の体制
に戻っています。 国名はポルトガル語で、サントメ島はポルトガル人エスコバルが1471年7月3日「聖トマスの日」に発見したことに由来。プリンシペ島は「王子」の意だそうですが、まだ傍証は取れていません。間違いないと思いますけど。
 国旗は赤は独立闘争で流された尊い血の犠牲を、緑はこの国の重要な産物であるカカオと森林を、黄は豊かな国土を、黒星はサントメとプリンシペの2つの島と、ブラックアフリカを象徴するということです。傍証は取れませんが多分間違いないでしょう。
 サントーメ-プリンシペの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
南大西洋の地図

↓サントーメ-の地図