東欧の国、正式には Slovak Republicです。 人口 5,380,053人(2003)。国土面積 49,034 km2。1918-92 年の間は Czechoslovakia の構成共和国でした。 最初にスロバキアの地にスラブ人が住み着いたのは5世紀頃のようです。7世紀にはサモ帝国 Samoというのが出来ますが、このサモという王はフランク生まれの武器商人だったようで、彼が主導して当時、この地を席巻していたアジア系のアヴァール人に抵抗してうち勝って、スラブ人の王になったようです。彼の没後ははっきりしませんが、アヴァール人が戻ってきて共存するようになったようです。9世紀にもう一度、チェコのモラビアを中心としたスラブ人国家ができたようですが、結局 11世紀- 14世紀はハンガリー王国の一部になり、さらに1918年まではオートスリア・ハンガリーの一部になります。その年、ボヘミア、モラビアとともにチェッコスロバキアに加わりますが、1938年に解体されてスロバキアは分離しますが、こんどはナチスドイツの影響下に入ります。 第二次世界大戦後はソ連の影響のもと、チェッコスロバキアと再統合されました。1989年に、平和的にベルベット革命が進行し、もう一度解体されて、それぞれ別の国になりました。スロバキアは2004年5月、 EUに加盟しました。 国名の由来はスロベニアと同じく、スラブ人の地という意味のようです。スラブとはゴート語で slov 「口数の少ない、のろまな人々」の意との書かれています。スラブは英語のslave: 奴隷の語源であるとか、ろくなことは書かれていませんが、何も、そんな意味ではなくて、彼らをとっつかまえて奴隷にしたやつらが、勝手にそういう意味を付け加えたのでしょう。slavの本当の意味は「誉れ、栄光」を表す言葉なんだそうです。 国旗はスラブ民族に共通の赤・白・青の3色旗で、元々は紋章は無かったようですが、無いとロシアと同じになるので、1992年にキ印、いや、カトリックへの信仰を表すダブルクロスが加えられたということです。スロベニアと同じく、山々らしいのも見えますが、こちらはカルパチア山脈で、最高峰でもゲルラホヴスキ岳の2655 mとあまり、険しくはないようです。 070702 首都の Bratislavaの意味を求めて来た人がいました。Wikipediaに 9世紀からの名称の変遷が記されていますが、1217年までの変遷を見ても Wratisslaburgium、Braslava、Brezalauspurc、Predslav、Poson、Brezesburg、Bosenburg、Brecesburg、Poson、Brezisburg、Bresburc、Preslawaspurch、Prespurch、Bosan、Preburch、Bosania、Prespurch、Bresbruch、Prespuerch、Brespurg、Posonia、Possen、Bosan、Presburch、Poson、Bosonium、Bosan、Prespurch、Posonium、Poson、Bosonium, Brezburc, Bosonium quod Prespurc teutonice nuncupatur, Brisburc, Posonium、Posony、Posoniaと多数あります。中世にはボヘミアとかババリア、オーストリーとかでは Bと Pの発音はよく似ていて、しばしば入れ替わるようです。1919年以降を見ても Preァburg(ドイツ語)、Presþorok、Presþurk、Pressburg、Pressbourg、Pozsony、Posonium、Pozún、Pozhoma、Istropolis(ギリシャ語でダニューブ都市)、Wilson City (アメリカ大統領の名前を軍事地図で使ったもの)といろいろあります。 これらの中にもない Bratislavaが、なぜ選択されたのかよくは分かりませんが、一番たしからしいのは、19世紀に詩人としてまた、あらゆる科学関係の科学者として活躍した Pavel Jozef Safrikが 11世紀にこの地域で勢力を張ってポーランドやハンガリーに侵攻したりしたボヘミア公、(ローマ皇帝に対して公爵で、実体は王みたいなものです。) Bretislavから作り出したもののようです。Bratislavaになったのは誤記らしいです。Bretislavは国民的英雄なのでしょう。彼はこれも勢力を張っていたババリアの貴族、Schweinfurtの娘を拉致して妻にしますが、その絵図が Wikipediaにあります。こうして絵図になるからには快挙だったのか? 実は中世のヨーロッパでは形式的に略奪婚の形をとることが多かったようです。花嫁にはそれだけの価値があることを証明し、追っ手を斥ける力量を示すというわけです。 ババリアの語源を求めてこのページに来た人がいましたが、古代のギリシャ人は自分たち以外はみんなバルバロイ: 野蛮人と呼び、その住んでいる場所はババリアと呼んでいたようです。これがローマ人にも受け継がれて、多分、なかなか言うことを聞かない人の住むところはババリアと呼んだのであちこちにババリアという地名が出来たようです。ババロアというケーキはバルバロイが作っているケーキが美味しかったので、そういう名前になったのでしょう。ドイツのバイエルンもババリアから来たとは知りませんでした。ちょっと不自然な変化のように思われます。バイエルンはBayernですが、薬のバイエルは Beiernで元は同じのようです。Wikipediaを見るとBayern、Beiernの方はボヘミア人も含めて Baya人を指した言葉のようです。ですから同じ場所を指す言葉ではあってもババリアとは語源が違うように思われます。Wikipediaを見ていて驚いたのは、もちもとケルト人が住んでいたとあることです。ケルト人はイギリスの片隅にいるだけではないようです。→スロバキア大使館