シンガポール(Singapore) .sg首都 シンガポール (220 万) (Singapore) Malay 半島南端の島 (2) 同島を中心とした国; 公式名 シンガポール共和国、漢字だと中国系では新加坡共和国あるいは新嘉坡。 人口 4,608,595人(2002)。国土面積 692.7 km2、淡路島程度です。中国系 77%, マレー系 15%, インド系 6%. 公用語: Chinese, English, Malay, Tamil. 宗教: 仏教, キリスト教, イスラム教, ヒンドゥー教など. 通貨: dollar. もと英領植民地, 1965 年独立, 英連邦に属しています。 古い歴史はざっとしたものしかなくて呼び名もいろいろだったようです。三世紀の中国の記事に、「半島の先の島」という意味の Pu-luo-chungとか>Puluozhong (漢字では婆羅洲ですが元はマレー語のようです。)が使われています。14世紀になってスマトラ島のスリヴィジャヤ帝国 Sri Vijayanの一部になり、Temasek 「水の町」の名がつけられました。このほかにもいくつかの名前があったようですが、今の名前に繋がるのは今はインドネシアのパレムバンの支配者だったスリ・トリ・ブアナ、あるいはサン・ニラ・ウタマが嵐を避けて Temasakに避難しようとしたとき、動物を見かけてライオンと思い、Singapura:サンスクリット語でライオンの町と名付け、14世紀末にはシンガプーラの名前が定着したようです。有名なマーライオンがそのライオンなのでしょう。下半身は魚で、人魚ならぬ獅子魚です。その頃、ジャワの政権と今はタイランドのシャム Siamなどと争奪戦があったようです。 18世紀後半、インドを支配下においたイギリスは中国との交易でオランダに先んじるべく、1796年、マレーシアのペナンに商業基地を設け、1795年、マラッカをオランダから奪い、1819年にはシンガポールを商業基地としました。かくして、シンガポールは商業基地、ゴムなどの中継港として栄え、スエズ運河開通後はさらに重要性を増しました。 1942年、日本軍が占領し、昭南島と改名した時代が三年あまりありました。1945年にイギリス軍は戻ってきて1946年にイギリス植民地になりました。しかし、独立の動きが出て、1959年には自治権を獲得し、人民行動党(PAP:Peoples Action Party)のリー・クアン・ユー (Lee Kuan Yew 李光輝)が首相の地位につきます。この人民行動党は共産主義も含んだ同床異夢の幅広いものだったようです。このころ、当時はマレーシアのラーマン首相が旧英領で構成するマラヤ連邦を提唱し、これについての対立もあって共産主義者は離反します。インドネシヤやフィリピンが反対しますが、とにかく1961年にはマレーシア、サラワク、北ボルネオ (現 サバ)で構成するマラヤ連邦が成立しました。しかし、マレーシアのマレー人優遇政策と中国系が主体のシンガポールとは相容れず、1965年に連邦を離脱して独立しました。 その後の繁栄はひとえにリー・クアン・ユー首相の手腕によるところが大きく、石油危機も乗り越え、建国の父として個人崇拝の対象にもなるほどのようです。 国旗の赤は友好と平等を、白は美徳と純粋性を、5つの星はそれぞれ民主主義・平和・進歩・正義・平等の5つの理想の進展を表わすということです。一見して回教国に見えますが、実はこの国旗は、マレーシア連邦時のシンガポール州旗だったのです。ムスリムの人も居るには居ますが、 三日月 crescentは今は新月がこれから大きくなる ascentあるいは crescendoとかけて、将来への希望を表わす、と解釈されているようです。マレーシアをいたずらに刺激しない中国系人らしい現実主義もあるのでしょう。 シンガポールの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。 たまたま見つけたマレーシア、シンガポールの旅行記です。 →アジアの地図
↓シンガポールの地図
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