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スウェーデン(Sweden) .se

首都 ストックホルム (149 万) (Stockholm)

 北欧の国; 公式名 スウェーデン王国, 人口 8,875,053人(2000)。国土面積 449,964 km2。スウェーデン人がほとんど, フィン人, ラップ人など. 言語: Swedish. 宗教: 福音ルター派。 通貨: krona。
 この地には最後の氷河期が終わって石器時代には住人がいたという確たる証拠があるそうです。この頃はバルチック海からの獲物を中心とした狩猟と採集の文化だったらしいですが、青銅器時代には商業が栄えていたという証拠もあるようです。
 9世紀から10世紀にかけては、いわゆるバイキング華やかな時代です。これは、通商もするわけですが、略奪、植民もするわけです。方向としては東の方向、黒海とかロシアの方向
です。ロシア人は思い出したくないかも知れませんが、ロシアの礎を築いたのは、このバイキングらしいです。魔法もののファンタジーによく登場するルーン文字はこの時代のスウェーデン語、とにかく北欧の言葉のようです。
 1389年には、ノルウェーとデンマークとともに統一君主を戴きました。この連合は政治的なものではなく、個人的なものであったと記されています。よく分かりませんが、秀吉につくか、家康につくか、というレベルの連合だったのでしょうか? デンマーク王が中央主権を試みると抵抗して武装抵抗にまでなったりし、1520年にはストックホルムの血浴と呼ばれる、貴族・聖職者の大量処刑があったりしましが、結局 1521年にグスタフI世がスウェーデン王位を復活します。
 17世紀、グスタフII世の時代、三十年戦争でうまく立ち回り、グスタフII世は戦死しますが、ヨーロッパの強国にのし上がります。しかし、18世紀になると力をましてきたロシアほかの連合軍との大北方戦争で国力を消耗し、1809年には国の東半分、つまりフィンランドを奪われます。
 この後です。ヨーロッパの王室の私たちから見て奇異なまでに、楽しいことが起こるのは。フランスの田舎に Pauという町があります。ここにベルナドット博物館という小さな博物館があります。この博物館のサイトの説明文を見てください。下のがそうです。フランス語は苦手ですが、大約は間違ってないと思います。
 Jean-Baptiste Bernadotteは1763年1月26日、ベアルヌ (Bearn) 地方のPauで普通のフランス人として生まれた。この子が外国の最高の地位を得ようとは誰も予測できなかった。ただの Pauの町民がスウェーデンの王になり、その子孫が今も王座にあるとは。家族の住居は各階にバルコニーのある典型的なベアルヌ風で1950年に町で買い上げて修復したものです。
 実は1935年にある財団が現代風の博物館に改造していましたが。 一階には1841年以降の家族の展示になっています。ベルナドットは1810年にスウェーデンのChaarles XIII世の養子になり、8年後には Karl XIV Johanとして王位につきました。この小さな博物館には毎年、大勢のスウェーデンの観光客
がきます。
 ベルナドットはフランス革命時は革命軍に身を投じていたようです。それがナポレオンに取り立てられてイタリア戦線で功績を挙げ、1799年にはウイーンに大使として赴任し、1799年には最高司令官になるというナポレオンの片腕で、1805年にはアウステリッツの戦いで目覚ましい働きをして、Ponte Corvoというイタリア北部の小さな町ですが、その町の皇太子の地位を与えられます。まあ、領地を与えられたわけです。ところが彼とナポレオンとの関係は冷たいもので、彼はドイツ戦線でスウェーデンと対峙して指揮しているときにスウェーデンと交渉を持ちます。ここでスウェーデン人は彼の寛大な振る舞いに感銘します。
 1809年スウェーデン王・グスタフ4世は退位して叔父の Charles八世に譲位しますが、後継ぎの子がいませんでした。多分、後継ぎにしようと企んだのか、ナポレオンの力が欲しいと思ったのかスウェーデンはベルナドットの軍につきます。そして、1810年に彼を王太子に任じます。そして年老いた王に代わって政務をとります。彼はなかなかに政治判断に長けていて、ロシアからフィンランドを取り返すよりはノルウェーを手に入れようと考えます。そこでナポレオンとデンマークに対抗してロシア、イギリスに味方し、1813年のライプツィッヒの戦いで重要な働きをしました。別の資料によると彼は王太子を受けるに際して、フランスとだけは戦わないことを条件にしたはずなのですが。そして1814年、デンマークにマーチを組んで進軍し、ノルウェーを割譲させます。そして彼はノルウェーの王
にもなったわけです。
 フランスにとってベルナドットは裏切り者であり、憎っきやつだったのでしょうが、今となっては故郷に博物館もでき、考えようによっては「スウェーデンの王などは、元はと言えばフランスの田舎っぺさ」と言えるわけです。もう一つ、もともとスウェーデンとフランス、特に北部のノルマンディーあたりは淺からぬ縁があるのです。スウェーデン人がバイキングだったころ、ノルマンディーを地方を侵略してフランス王の臣下ということになったのです。ノルマンというのは Norが北で北の人という意味です。デンマーク、ノルウェー人も含むと思いますけど。スウェーデン人と何度か話して、彼らのみんながそうではなく、はっきりとではありませんが、 stationの発音が誇張するとスタシオーンに近い音でフランス流なのです。いや、多分、フランス人がかつてノルマン流の発音をするようになったのだと思います。
 私が少年の頃、スウェーデンはあこがれの国でした。世界一の長寿と生活水準を誇り、中立国ではあるけど、ジェット機も自前で作る技術先進国で、日本が見習うべき国の代表でした。

 国名の由来ですが、スウェーデン語の綴りでは Svearigeでスベリエみたいな発音らしいです。Swedenは英語です。Denmarkとこんがらがった言い方なのかも知れません。で、Sveaが「我々同胞」、rigeが「土地」だそうです。
 07/05/26 ちょっと納得がいなないところがあっので調べなおして見ました。とにかく由来を求めて探していたら、ストックホルムの北西 5, 50 kmくらいのところにウプサラ Uppsalaという市があって、この佐藤渡辺のサイトにもUppsala市からのアクセスが数度ありましたが、そこが古都で、スベア・リケ Svea rikeという王国があったとありますが、スベア・リケに説明がありません。この王国は世襲ではなく、選挙で決める大統領みたいなものだったようです。こんどは Svea rikeの意味を探して行くと、日本語のサイトがたくさん出てきて「Svea rike」という、かなり人気のゲームの名前になっています。どうも古戦場だったようです。ゲームのサイトに行っても無駄でしょうからパスして行くうちに、英語のサイトで「Sveaには何か意味があるのか?」と掲示板で質問した人があり、一つの答えは「人々を意味する Svithiodから来たということだが、定説ではない」で、次は「Svithiodは人々ではなく、Sviという言葉はスウェーデン人そのものであり、Piod(文字化けで読めません)の合成語」だとあります。まあ、「我々同胞」の土地でおかしくはなさそうです。rikeの方は説明がありませんでしたが、スウェーデン語-英語の辞典のサイトが見つかって、「国」だということが分かりました。Sveaと Sviは分かりませんでした。スベア王国が成立したのは8世紀から9世紀のことで、スウェーデン語もかなり変化を遂げたのでしょう。このサイトには Svea rikeは後に Sverigeと縮めて言うようになったとあります。そのほか、このスベア王国は ゲータル Gtarを征服して築いたとあります。少し後に Gotlandを従えたとあり、これは北方の東、スカンジナビアに住むゲルマン民族の一族で、ゴシック様式、ゴシック体とかの言葉がありますが、ルネッサンスを主導したイタリア人などが中世の美術をゴート風と一種の蔑称として使った言葉らしいです。この一族は3世紀が4世紀にかけて南下して小アジアあたりまで来て、5世紀から6世紀にはイタリアとかイベリア半島も席巻したようです。
 国旗には燕尾型のものがあるのは横長のスカンジナビアン・クロスという十字架を持つ国に共通です。
 スウェーデンでは王家がこの形を用い、さらに紋章がつきます。ベルナドットがスウェーデンの王位についたとき、イタリアのPonte Corvoはローマ法王に返還するようウィーン会議で決まったはずですが、紋章のどこかにPonte Corvoの紋章があるらしいです。

ルシア祭り(12月13日)(ルシアはイタリアの聖女です。1927年から始まったということです。)
スウェーデン大使館 →ヨーロッパの地図

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