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ルワンダ(Rwanda) .rw

首都 キガリ (12 万) (Kigali) 中央アフリカの国; 公式名 ルワンダ共和国 Republic of Rwanda、人口 7,312,756人、国土面積 26,638 km2。フトゥ族(フツ) 90%, トゥツィ族(ツチ) 9%, ピグミー族など. 言語: Kinyarwanda, French (共に公用語), Swahili. 宗教: 土着信仰, キリスト教. 通貨: franc。
 この国の民族構成は南隣りのブルンジと非常によく似ていて、歴史的背景は同じと考えられます。もともとはピグミー族の仲間のトゥワ族 Twaが住んでいたとされますが、今は人口1%そこそこのようです。それが、何時の頃かフツ族 Hutuに取って代わられ、その次がツチ族 Tutsiです。ツチ族は取って代わるのではなく、支配民族として居座りました。フツ族は農耕民族で、ツチ族は、どこから来たのかは謎のようですが、ケニヤのマサイ族と近縁で狩猟、遊牧民族だったようです。
 当初はフツ族は奴隷的立場で、土地と家畜を所有することは禁じられ、ツチ族の家畜を飼育し、ツチ族は優雅に貴族的生活を謳歌し、両民族間の通婚も禁じていたわけですが、長い年月の間には同化が進み、もともと、顔立ちもかなり違っていたようですが、二つの民族を区別するのは支配階級であるか否かという感じになっていたようです。
 1885年、住民とは関係なくベルリンでの会議でルワンダとブルンジはドイツ帝国のものと決まり、9年後に初のヨーロッパ人がやってきました。ドイツ人はツチ族の肌色が少しばかり白いことから、この国の支配体制があるべき姿と考えて利用しました。しかしながら、ドイツ人が持ち込んだ貨幣制度はフツ族に社会的地位が金によることを教え、またドイツ人はツチ族、フツ族の区別なく人頭税を課したため、フツ族にとってツチ族の権威は薄らいでいきました。
 第一次世界大戦の後、ブルンジとともにルワンダ-ウルンジとしてベルギーの国際連盟の委任統治領になりました。ベルギー人もツチ族を重用し、教育の面でも優遇していました。第二次大戦後は国連信託領ということになり、世界の流れでしょうか?民主政治を導入しようと、家畜、土地の再配分をし、選挙制度も平等にして、フツ族の勢力が拡大することになりました。
 1959年、ついにフツ族の抵抗勢力がベルギーの支援もあって反乱に成功し最後のツチ族の王を倒し、16万人のツチ族は国外に逃れます。フツ族の政権ができて、この体制で1962年に信託統治は終了して独立しました。そして、悪いことはすべてツチ族のせいということになり、2万人近くのツチ族が殺されました。
 その後、しばらくは落ち着いて相互の通婚も出てきて共存の空気もあったのですが、政権の腐敗と、教育、公務員についての人口比例制度が敷かれツチ族は、その資質にかかわらず、10%しか大学に進めず、公務員になれないという不合理を抱えるようになりました。
 国際的な圧力もあって1990年に一党独裁から、多党派民主制への道を選ぶ動きを見せます。この頃、国外の亡命したツチ族、もはやフランス語でなく英語をしゃべるツチ族が戻る権利を主張し、愛国戦線を結成して政治的圧力をかけるまでになります。結果、フツ族とツチ族の宥和を目指した国家政治憲章が制定されたのですが、もう待てないとばかりウガンダの基地から侵攻を開始しました。
 この侵攻は政治的圧力をかけるためだったらしいのですが、かつての封建制の復活を試みるものとして、政府、民衆ぐるみのツチ族の迫害ということになり、1994年、折悪しくHabyarimana大統領の乗機が撃墜され、軍隊、民衆が大虐殺に走ることになり、国連のあいまいで無効な介入もあり、百万のツチ族と穏健派のフツ族が殺されました。ここの悲劇のナチによるユダヤ人迫害とも異なる点は、民衆が、隣人を虐殺するという異常さ、しかも国際社会が見守るなかで行われたということです。

 愛国戦線の侵攻はあっという間、三ヶ月でフツ族政権は倒れ、1994年7月には大虐殺は終わるのですが、今度は何と虐殺にかかわったフツ族、二百万人がタンザニアウガンダザイールなどに逃れるということになってしまいました。
 1996年10月からツチ族の本国への帰還が始まり、現在国外に残っているのは旧軍隊関連の10万程度のようです。今度は、大虐殺に対する裁きが行われようとし、国連もタンザニアに国際法廷を設置したようですが、どう結末をつけるか、極めて難しい選択になるでしょう。

 国名はバンツー語 r 「土地を意味する定冠詞」と wanda「人々」の意。だということです。バンツー族もいるのかも知れませんが、ほかに由来に触れたサイトは見つかりませんので、信じるしかないでしょう。
 国旗のルワンダのパリ大使館のサイトによると、緑色はルワンダの人の力と資源を、黄色は経済発展を、青色は幸福と平和を意味し、金色の太陽と光芒は人々を照らす光、つまり統一と透明性、無知との戦いを意味するそうです。
駐日ルワンダ大使館(外務省のページで住所がわかるだけです。)

アフリカの地図

↓ルワンダの地図