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旧ユーゴスラビアの中での最大、人口的には大部分を占めるセルビアは過去にはセルビア帝国と呼ばれた時代もありました。ですが、16世紀にはオスマントルコやハプスブルグ家オーストリア帝国に席巻されました。ベルグラードはオスマン帝国に 1521年最後まで抵抗した町です。しばらくは北部はオーストリアが、南の2/3はオスマントルコが支配していました。19世紀はじめになって抵抗運動が成功して1815年に独立を宣言したようですが、実効的に国として機能したのは1867年にオスマントルコを追い出したときでしょう。正式には1878年にベルリン会議で認められたようです。北部のボイボディナは17世紀にオスマントルコからハプスブルグ帝国の手に渡り、独立は第一次大戦終了後の 1918年でした。 セルビアの国名の由来ですが、Serbiaはスラブの slavとともに、servant、slaveの類と見なされていたようですが、元は 1-2世紀に用いていたタキツス Tacitusとかプリニウス Plinius、プトレミー Ptolomyが使っていた Serboiという、どうやらイラン語、かつてのペルシャ語に由来するコーカサス地方の、この地域の住民を指す言葉だったようです。意味まではわかりません。多分、スラブと同じく奴隷、従僕の類なのでしょう。
![]() 元は「Само слога Србина спасавa」のようです。セルビア正教会の紋章も同じ 4Cを含んでいます。 ![]() セルビア・モンテネグロの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。 →セルビア・モンテネグロ大使館 →ヨーロッパの地図 (番号で表示してありますので、右上の表を見てください。 ![]() |