ヨーロッパ南西部の国; 公式名 the Republic of Portugal (ポルトガル共和国)、国土面積 92.391 km2、人口 10,356,117(2001)。ポルトガル人。 言語: Portuguese. 宗教: カトリック。通貨: escudo。 少なくとも50万年前には人が住み、BC1000年代のはじめにはケルト族などが侵入して混血しました。BC三世紀にはローマ人が侵略を開始し、前一世紀末にはローマの植民地になったようです。このとき、ローマに抵抗し、最後に賄賂で裏切られて暗殺される Viriathusという英雄がいたのですが、この人物はスペインの英雄にもなっています。この時代にはスペインとポルトガルの区別は明確ではなかったようです。五世紀にはゲルマン人が侵略して、ほぼ今日のポルトガルに相当するVisigoth王国を形成し、さらには一時的にスペインも含めた半島を統一したようです。 711年からムーア人が侵略を開始し、貴族にいたるまで混血します。このときのムーア人は黒ムーア人だったようです。こうして、最初にケルト族、次にゲルマン族、次にローマ人の血を受けてラテン的気質が形成され、さらにムーア人の血をうけて、色浅黒く、ラテンの中でも底抜けに明るい気質が形成されたようです。ナポレオンは「アフリカはピレネー山脈から始まる」といったそうですが、そういう事実があったのです。 ちょっとあいまいなところがありますが、ムーア人の王国とポルトガル人、スペイン人の王国が点在していたようで、ポルトガル人は、その建国の起源を1128年6月24日のSão Mamedeの戦いとしているようです。Afonso一世が、その母である Galicia王、Teresaと戦って勝ったときです。Galiciaというのはスペインの王国でポルトガルはその伯爵領だったようです。Afonsoはそれからムーア人の5つ以上の王国を滅ぼして、最終的に1250年にムーア人の時代はおわります。そして首都をリスボンに移します。 15世紀、16世紀はポルトガルの絶頂期です。エンリケ航海王子 Henrique、英語だと Henryの命により、次々とアフリカ各地を探検して、その金などの富をもたらし、1487年には喜望峰を回ってインドに達する道を開きます。今でこそ喜望峰ですがそれ以前は Tormentas Cape、つまり嵐の岬、そこから先は行けないところだったのです。そしてバスコ・ダ・ガマ Vasco da Gamaが1494年、インドに達するわけです。惜しむらくは、この三年前、コロンブスが西回りでインドに達する提案を非現実的としてはねつけたことです。それでアメリカ大陸についてはスペインに一歩遅れますが、ブラジルをものにしました。 1543年には種子島に漂着して火縄銃をもたらします。1549年にはザビエルが鹿児島に上陸、1571年(元亀2)にはポルトガル船が初めて長崎に入港し、出島の歴史がはじまります。ザビエルはスペインのバスク地方の貴族の出のようですが、ひょんな事情でポルトガルの船できたようで、名前も本来ならエチェベリアだったようです。インドで布教中に、殺人を犯して逃れていたやじろうなる者に出会い、日本に来ることを決意したということです。やじろうは鹿児島出身だったようで、一応、その墓らしいのがあります。 24才の若き王、Sebastianがモロッコに遠征して、戦死してポルトガルの栄華に陰りが出てきます。世継ぎがいなかったので、枢機卿が王位につきますがそれも2年後に亡くなり、スペインのフィリップ2世が、ポルトガルの王女を母としていたので、1580年、ポルトガルのPhilip一世として王位について、スペインに統合されます。セバスチャン王の死体は発見されなかったので、いつか帰ってくると伝説ができて19世紀末まで信じられていたということです。 1640年に John四世を押し立てて、独立をはかり、1668年には一応、再独立を果たしますが、この隙にオランダが次々とポルトガルのアジアの領土を侵します。再独立についてはイギリスが後ろ盾になっていて、 1661年、イギリス王チャールズ二世とポルトガル王女 カテリーヌの結婚に際して、ボンベイを持参金としてイギリスに渡します。 話は飛びますが、1974年、左翼軍隊による無血クーデターがあり、民主改革ということで、アフリカの領土・Mozambique、 Angola、Guinea-Bissau、Cape Verde やSão Tom and Prncipeの独立を次々と認めます。そして東ティモールはインドネシアに侵略されますが、東ティモールも2002年、正式に独立します。マカオも1999年12月、中国に返還されました。 国名の由来は地図にもありますが、Portoという地名、要するに港ですが、建国のころはここが中心地だったようです。 国旗の緑色は誠実と希望を、赤色は共和制革命で流された血を表わすとか、緑色は勇敢なアビス騎士団の色で、赤色は新世界を発見するために冒険航海に出た勇気を表わす色とも言われています。また紋章には優れた航海術を象徴する天球儀と、ムーア人から奪い返した7つの城、ポルトガル王家を表わす盾などが描かれている。ということです。7つの城は楯の中の赤地の中にあるものです。中心に青い小楯とされるものが5個ありますが、もともとはこれは、青十字として繋がっていたもので、アフォンソ・エンリケ王がその息子に楯を相続したときに、歴戦で青十字がぼろぼろになっていて、銀の止め釘のまわりだけが残っていた、のを紋章に取り入れたもののようです。たまにポルトガルのジョークを検索してこのページに来る人がいます。持ち合わせはありませんが、藤左衛門徒然草というサイトで見かけたジョークを紹介しておきます。