西インド諸島の大アンティル諸島東端の島, 319 万; 米国の自治領, 公式名 the Commpnwealth of Puerto Rico。旧称 Porto Ricoです。アルゼンチン西部にもサンファン市があります。このドメインはお目にかかったことがありません。大学関係も.eduのドメインを使っていますし、実質的にはアメリカの一州でしょう。その割には恩恵にあずかっていないらしいですけど。 1493年、コロンブスの二回目の航海で、11月19日にこの島を見つけました。洗礼者ヨハネと何のゆかりがある日だったか知りませんが最初は"San Juan Bautista"と名付けました。というか、この港に名前をつけたわけです。ここには Tainoインディアンとか Arawakuインディアンと考えられる原住民がいたのですが、彼らは、川の砂金を見せて好きなだけもっていけ、と大変な間違いをしてしまいました。そこでリッチな港という意味の"Puerto Rico"と名を改めました。英語にすると Rich Portです。そして、あるとき、プエルトリコの方が島の名前になったようです。インディアンの方でも、この島の名前はつけていて、Barikenとか Borinquen、意味は「勇敢で高貴な偉大な君主」という意味だったそうです。 そののち、ここはスペインの重要に軍事基地となり、住民を奴隷に使っていました。住民たちは最初、スペイン人は不死だと思っていたそうです。あるとき、そうではないことを知って反抗するようになりますが、撃ち殺されるだけで数が減り、アフリカから奴隷を連れてくるようになります。そしてサトウキビとココナツの栽培が盛んになったようです。 17世紀、18世紀はフランス、イギリスがこの島をつけねらい、何度も攻撃しますが、スペインは何とか手放さずにきました。19世紀に入ると、アメリカの影響が強まり、1898年には軍部が独走する形で、フィリピン,グアム,プエルトリコなどのスペイン領を奪取する計画が実行に移され、スペイン軍を蹴散らして計画は実現します。 結局、アメリカの自治領になるわけですが、それで落ち着いているわけでもないようです。一時は独立派がアメリカ大統領暗殺を企てたり、議会に乱入するテロもありましたが、現在は独立派とアメリカの州になりたいというのと、自治領のままでいたいというのと、三派があってなかなか動きが着かない状態のようです。 島の旗はキューバの国旗と、赤と青を入れ替えただけで、まったく同じデザインです。これには理由があって、1895年、プエルトリコはキューバ革命党と共同戦線を張ったのです。このとき、この旗がデザインされたというわけです。赤いストライプは勇敢な戦士の血、白いストライプは勝利と独立後の平和を、青い三角は、空と海の色、白い一つ星は美しい島を表すそうです。青の色については1952年に、アメリカ国旗の濃紺に改めさせられたりしましたが、1995年に元に戻ったということです。 プエルトリコの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。プエルトリコの歴史 →西インド諸島の地図 →西インド諸島の大地図