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ピトケルン島
(Pitcairn island)
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 南太平洋にある英領の島。面積 47 km2。人口 46人。英国軍艦・バウンティ号(船長 William Bligh)が1789 年南太平洋を航行中に乗組員の暴動が発生し、彼らは若干の Tahiti 島原住民と共にこの無人島に新社会を形成した、ということです。
 ポルトガルの探検家 Pedro Fernandez de Quirosがこの島を発見しましたが、そのころは無人でした。しかし、考古学者によれば15世紀末まで、ポリネシア人が住んでいたということです。1767年にイギリス人が発見し、最初に足跡を残した乗組員の名前にちなんで Pitcairnになったんだそうです。
 戦艦といっても250トンくらいのものだったようですが、そのバウンティ号の反乱分子が住み着いたようです。艦長のブライ Blighは本国にたどり着き、本国から捜索隊が出てかなりの数は連れ戻されて処刑されたりしたようですが、彼らのおかげで、この島は1838年にイギリスの植民地になりました。1850年代には島がせますぎるというので、ビクトリア女王に嘆願してずっとオーストラリアよりのノーフォーク島をもらい受け、1856年、193人の島民全員が大変な思いで5週間かけてたどり着きますが、1年半で17人が戻り、5年後には27人が戻りました。1937年には島民は233人いたのですが、主としてニュージーランドに移民して現在では50人ていどのようです。
 映画ではブライは悪玉で、副長のクリスチャンは善玉ですが、異説もあって、ブライは、当時の船長としてはひどい方ではなくて、クリスチャンは衝動的で前夜は深酒していたという「戦艦バウンティ号の反乱の真相」という本があります。ブライは、支持する部下とともに小舟に乗せられて死ぬべく、南太平洋に放り出されるのですが、彼が、いかにして本国にまでたどり着いたかは確かに映画になりそうです。
 島の旗はコガネムシが居るのかと思ったらバウンティ号が錨を下ろしていて、一輪車があったり、島の植物があったりするようです。参考にしているサイトの文章がわかりにくくて、分かりやすく書けません。いや、そもそも国旗の存在が疑われてるようです。住民は数十人しかいないのに、国旗など高くついてしょうがないじゃないか、ということです。
オセアニアの地図(右端)
↓ピトケルン島の地図