全部で7,107の島からなるフィリピン諸島からなる東南アジアの国です。 公式名 フィリピン共和国 The Republic of Philippines, 人口 88,701,000(2009)。国土面積 300,000 km2 日本と同程度です。ほとんどがマレー系でそれが多部族に分かれています。 公用語: Pilipino, English. 宗教: カトリック 85%, イスラム教, プロテスタントなど. 通貨: peso。1948-75 年はフィリピンの公式首都はケソンシティー (10 万 )でした。現在は Metropolitan Manila の一部です。 数万年前の旧石器が出てきたり「ラグナ銅版碑文」(画像かあります)と呼ばれるものが1989年に発見され、この古代タガログ語か古代マレー語のどちらともつかないものを、解読した人がいて、サンスクリット暦で、年代が書いてあり、10世紀のものだと分かっています。ところが、それ以前、それから1521年にポルトガル人のマゼラン率いるスペイン探検隊が来るまでの間、歴史資料は、中国とかの記録があるだけで、国内にはほとんどないようです。現在に繋がるタガログ、イロカノ、バンバンガ族の人たちが住みだしたのは紀元前500年以降のようで、中国からは7世紀頃から移民がはじまり、13世紀頃に、ムスリム系のマレー人がスルー諸島 Suluからミンダナオにかけて進出、1475年にはミンダナオ国王も成立したりしています。 マゼランですが、戦闘になって討たれてしまいますが、次々と遠征隊が来て1543年にはサマール島 Samar、レイテ島 Leyteに達し、当時のスペイン皇太子にちなんで、Filipinasと名付けました。1570年にはレガスピがマニラを攻略し、初代総督となって植民地時代がはじまります。ミンダナオについてはスペインは征服できませんでした。 1753年にはイギリスに短期間、マニラを占領しますが、スペイン支配は続き、フィリピン人が主権回復に向かって動き出すのは19世紀後半になってからですが、結局、アメリカの助けを借り、1902年に自治領みたいになりました。アメリカはミンダナオも攻略して統一されます。このアメリカに対する独立要求も始まりますが、結局、独立を果たすのは第二次世界大戦で日本軍が占領し1943年、東條英機首相はフィリピン共和国を発足させました。しかし、公式の独立はアメリカが帰ってきてからの1946年です。 国名の由来は結局、長年、植民地支配をつづけたスペインが名付けたものを採用しています。1542年、スペイン皇太子フェリペII世 Felipeに因んでフィリピナス諸島 Philipinasと名付けたものです。国名が複数形になっているのは諸島だからでしょう。 国旗は最初の独立の動きがあった1897年にデザインされたものとかで、太陽は自立の決意と独立を、八条の光はスペインに対して武器を取った八つの州を、三つの星は、主立った地方としてのルソン島・ミンダナオ島・ビサヤ島を表しています。赤のストライプは勇気を、青いのは高貴な理想を表し、白い三角はスペインに対する抵抗運動を主導した組織 Katipunanを、そして白い色は平和と純潔を表しているそうです。→国立民族博物館・研究公演・アイオン・ア・ガンディン〜南フィリピンのゴング音楽クリンタン