ペルー(Peru) .pe首都 リマ (320 万) (Lima) 南米西岸の国; 公式名 ペルー共和国, 人口 27,949,639 (2002)、国土面積 1,285,220 km2。インディオ 45%, メスティーソ 37%, 白人 15%, 公用語: Spanish, Quechua. 宗教: ほとんどがカトリック。通貨: sol。 ペルーそのものとは違いますけど、インカ帝国、ナスカの地上絵など、12000年からの歴史があるところです。くわしいことは、インカ/ペルーの歴史を見てください。近代ペルーの歴史はフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)がインカの王、アタワルパ(Atahuallpa)を捕らえて、国中の金銀財宝を集めさせ、最後に殺してしまうところから始まります。1533年のことです。これから搾取がはじまり、また、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘とはしかが 2000万人近くいたインディヘナの人口を約400万人まで衰亡させてしまいました。(インディヘナはインディオと極めてよく似ていて、実際の意味合いはほとんど同じなのですが、元となる語源はまったく異なるようです。インディヘナは英語でいうと Indigenous つまり、正真正銘の原住民ですが、インディオはコロンブスがアメリカ大陸をインドと間違えてインド人という意味で呼んだからなのです。インディアンはそれを英語にしたものというわけです。) アンデスで取れる金銀はスペインを大いに富ませますが、植民地の方はは混迷を極めます。インディヘナとクリオヨス Criollosと呼ばれる中南米など、ヨーロッパ以外で生まれたヨーロッパ系人種、スペインで生まれたペニンスラレス(peninsulares)が存在して、公職にはペニンスラレスしかつけないとか、経済力はクリオヨスの方があると、いった具合で三すくみの抗争が絶えなかったようです。 最初に結局、この国の独立には近隣のアルゼンチンを解放した名将ホセ・デ・サン・マルティン ( Jose de San Martin)とか、これまた、ボリビア、パナマ、コロンビア、エクアドル、ベネズエラを千人足らずの将兵で次々と解放した名将 シモン・ボリバール Simon Bolivarが大きく関わります。この時代にはこれらの国は要するにスペインの植民地であって、スペインの影響力から解放されたところから独立して行き、なお残るスペイン本国の影響力を排除するためにこれらの英雄が活躍したわけです。 最初にホセ・デ・サン・マルティンがリマを攻略して1821年に独立を宣言しますが、王国派の抵抗が続き、彼は、フランスに旅立ち、ボリーバルが1924年に王国派をうち破って仕上げました。 独立達成ののちも、内乱があったりして、一時はボリビアに併合される形になったり、チリと戦争して、金銀に代わって主要な収益源であったグアノ(guano)と呼ばれる海鳥のフンが化石化した窒素肥料の産地を奪われるなどして難儀が続きます。破産に瀕したところを鉄道など経済支配を条件に借金の取り立てを諦め、経済は回復に向かいますが、今度は貧富の差の拡大を生じ、1930以降は軍事政権、あるいは軍事社会主義政権になり官僚主義による政治腐敗と経済の停滞が起こり、急激なインフレを引き起こしてしまうなど、さんざんな有様でした。 そこへ、1990年、フジモリ政権が誕生し、フジショックと呼ばれるくらいの大胆な政策を次々と実行し、2年間でインフレ率を2300%から100%に下げる、1997年には日本大使公邸占拠事件では、あざやかに人質 71人を解放するなど、絶頂期を迎えました。ですが、3期目に入って選挙の不正、賄賂による野党対策などに端を発して2000年11月に国会により「大統領職務の停止」されました。その後は一応、落ち着いているようですが、また落ち着かなくなるとフジモリ復権ということもあるかも知れません。 国名については書き忘れでもなく、ちょっと探して見つからなかったのが事実です。ところが、「ペルー 国名の由来」のキーワードでこのページに来た人が居て、ちょっと申し訳ないような気がして改めて探してみました。何とか一つ、それらしいのを見つけました。ペルー征服の歴史という題名ですが、それによると、一説にスペイン人が川の近くで「ここはどこだ」と尋ねたら、原住民が川のことと思って Peluだ、と答えて、スペイン人はそれが地名だと理解したというのがあります。こういう話は世界のここそこにたくさんあってカナダの国名などもそうですが、これは真っ赤な嘘でインディオの言葉に川を意味するそんな言葉はないということで、この資料では、Ophirから訛り訛ってPeruになったという説を示しています。その Ophirは何か?というと、太古のソロモン王の栄華をもたらした金の産地の地名らしいです。研究社の辞書にはそう出ています。その Ophirが Phiru, Piru, Peruと訛って行ったという説です。そうだとすると、言い出しっぺはスペイン人で、「ここは Ophirだ(宝の山だ)」と言ったのを原住民が、そうか、ここはPiruなのかと思って言っているうちに Peruになった、ということになります。これも国旗の紋章にもあるように金銀がザクザク採れた土地ということから、こじつけた理屈のような気もしますが、国旗の紋章も逆に、この国名の由来を表しているのかも知れません。研究社の辞書によると Ophirは Oにアクセントがあって、オゥフルという感じの発音で Oが無くなるのは変な気がしますが、スペイン語ではまた違うのでしょう。070820 再度、国名の由来を求めて探しているうちにジャガイモの原産地はペルーだと知りました。リマには国際ポテトセンターがあるようです。原産地はほとんど忘れられていますが、フィンランドではペルーナ Perunaと呼ばれているのだそうです。これは在ワシントン・ペルー大使館の記事ですから間違いないでしよう。国名の由来については七面倒くさく議論したサイトが見つかりました。 Peruはポルトガル語で七面鳥だという説について議論しています。スペインが支配したはずなのに、なぜポルトガル語なのか疑問があります。スペイン語で七面鳥は Pavoで最初が Pというところだけは似ています。スペインとポルトガルはもともと同じ文化で 16世紀ごろには今ほど言語ははっきり分れていなかったでしょうからスペイン人で Peruと言う人がいたのかも知れません。このサイトの筆者は Peruの七面鳥語源説には批判的で、ペルーの鳥といった意味で Ave do Peru、つまり Peruという地名は、それ以前にあったと考えているようです。Wikipediaもチェックしたのですが、Peruは Birúに由来するとありますが、その Birúの意味についての説明はありません。さらに探索すると Biruは現地のケチュア語 Quechuaで水の意味で、川も意味していたとありました(このサイトはドイツのサイトのようですが、英語と併記になっていて、世界各国の国名と国旗の由来の説明になっています。日本国旗は日の丸が太陽の女神の直系子孫としての天皇を表し、白は潔白、誠実、純潔を表し、赤は勇気と寛容、熱情を表す、とありました。そんなことは知りませんでした。ほんとなんでしょうか)White stands for honesty, sincerity and cleanliness, and red for courage, openness and passion.。ここで最初の Peluと繋がりが出てきます。ケチュア語で biruとも peluとも取れる言葉だったのでしょう。 赤白赤の旗はアンデスにいるParihuanaとかいう絶滅に瀕している鳥の、白い胸と赤い翼から発想したものだそうです。一応意味づけがあって白は平和と名誉を、赤は勇気と愛国心を象徴するということです。紋章の中、左肩は国の動物になっている vicunaというラマの仲間、右側はキニーネ quinineの木でこれも特産品です。下には金の角笛から小判がジャラジャラと鉱物資源の豊かさを表すのだそうです。 ところで、私が一番、頼りにしているサイトによると、紋章のない、単に赤白赤の旗が普通に国民が使う旗で、紋章入りは戦旗とか特別の場合だけに用いられるもののようです。 →ペルーの祭り ほとんどカトリック関係ですが、クスコのインティ・ライミ祭はインカ時代から引き継がれたもののようです。時間ができたらもう少し調べます。 →リゾート地と遺跡の紹介サイト →インカ/ペルーの歴史 →ナスカの地上絵 →南アメリカの地図↓ペルーの地図
| |