西アフリカの Guinea 湾に臨む国; 公式名 ナイジェリア連邦共和国, 9800 万。ハウサ族, フラニ族, ヨルバ族, イボ族など 200 を超える部族. 言語: English (公用語), Hausa, Yoruba, Ibo など. 宗教: イスラム教 (北部) 50%, キリスト教 (南部) 40%. 通貨: naira。 カネム-ボルヌ帝国というのがチャド湖近くの国がナイジェリア北部を600年ほど支配して、北方のベルベル人と森林地方との交易の拠点として繁栄していました。19世紀初頭、Usman dan Fodioが Sokoto(市場という意味のようです)を中心とするイスラムのフラニ帝国を作って、北方をある程度支配しました。 南西にはオヨ王国、南東にはベニンがあって15世紀から17世紀にかけて、かなりの政治体制を作っていました。ナイジエリアにもベニン人がいて、この Beninと Ife人は象牙や、木、青銅などの彫刻芸術で知られているようです。 17世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ人は奴隷貿易のための港を沿岸につくり、アメリカに拉致するのが主な取引になりました。ロイヤル・ニジェール会社をイギリス政府が1886年に接収して1901年、ナイジェリアはイギリス保護領になり、1914年には植民地になりました。第二次大戦終了後、イギリスは植民地を英連邦として自治化する方針を打ち出し、1960年には三つの地方政府を持つ連邦として独立しました。 その後、何度もクーデターがくり返され、軍政が敷かれ、ビアフラの独立の動きと血の鎮圧などあって民政への動きも暗殺によって阻まれるなどしています。選挙は1993年に行われたのですが、軍がキャンセルしてアバチャ将軍が政権を握ったかと思うとこれが暗殺され、1999年にはじめて、選挙が有効に実施されてオバサンジョが大統領として選出され、2003年にも再選されて小康を得ています。今は36の州があるようです。 ビアフラは短期間 1967年5月30日から1970年1月15日までの間、独立していました。といっても正式に認めた国は5カ国だけでしたが一応、紙幣もポルトガルの支援でリスボンで印刷されたようです。ビアフラの地名の由来を求めて来た人がいましたが、Wikipediaでも分からないようです。16世紀にはこの名前の土地があったようです。"meaning of Biafra"で検索しても掲示板で誰も答えていないようです。20081202 また、関連の検索でヒットして調べなおしたら、ビアフラは、アメリカに居住するナイジェリア出身の人々による一説にすぎないと思いますが「来る」という意味の biaと、Efraimを意味する fraの合成語だということです。Efraimはイフレムとかエフレム、あるいはエフライム Ephraimとか呼ばれるユダヤ人の名前で、ユダヤの失われた十氏族(ヤコブの息子の12氏族あったの一つのようです。これについては、折を見てイスラエルのページで触れようと思います。) の中の一人から来た、つまり子孫だということになります。ついでに見つけたサイトではヨルバ族は「悲しみは喜びとなる」という意味、イボ族 Igboは「有言実行」みたいな意味だとありました。Wikipediaの英語版にはイボ族のうちのNri-Igbo族がイスラエルの失われた十氏族の一つであるという説が紹介されていますが、ほかにもスーダン語の動詞の gbooから来ているとか、onigbo(奴隷という意味)から来たIgaraから来たとかいう説も紹介されていて、定説は無いとあります。 ほんとにイボ族がユダヤと関係があるのか? イボ族は機を見るに敏なところがあってヨーロッパ人に巧みに取り入って北部で奴隷狩りを行ってヨーロッパ人に売り渡したり、植民地時代には地方官吏として重用され、また商才があって商人としてアフリカ各地に進出して、アフリカ人からは「黒い白人」、ヨーロッパ人からは「黒いユダヤ人」と呼ばれていたようですが、ユダヤ教があったとはネットでは確認できません。多分に、その行動形態から異称としてユダヤ人となり、失われた十氏族の末裔だというのは、ここからヒントを得てコジツケたものではないでしょうか? 州の中には、一種の王国みたいなものもあるようです。ナイジェリアは詐欺立国かと思えるくらい、様々な高額礼金を餌にしたメール詐欺(アバチャ将軍の未亡人が何人もいるようです)が来ますが、その中に Ogoni王国の王女と称する人物から石油の利権の故にアバチャ将軍に迫害されて・・・手元に残った金を海外に移すのを手伝ってくれ、というのがありましたから。史実として確認できる事項については嘘は言わないようですので、36州の中には王国みたいなのがあるということでしょう。 ナイジェリアという国名はニジェール川のNigerを英語読みして、iaという地名接尾語というのだそうですが、これをつけると国らしく聞こえるというわけで、Nigeriaになったということです。これが通説だと思いますが、ほかにも説があってトゥアレグ語のンジェレオn'egiren「川、大河」とか、マンデ語でジョリバ「語り部の川」、ソンガイ語でイサベリ「大きな川」もあるそうです。とにかく川が関係するのは間違いないようですが。ナイジェリアとニジェールは地続きですし、国の名前の由来は同じでしょう。 国旗は1959年に公募した2870の中から選ばれたもので、緑は農業を、白は平和と統一を表すというのは、どの資料でも一致していますが、三つに区分けされているのは北部のハウサ人、西部のヨルバ人、東部のイボ人の3部族を表わすについては、ほかに見つかりません。→駐日ナイジェリア大使館(外務省のページで住所がわかるだけです。)→アフリカの地図