アフリカ南西部の国; 公式名 ナミビア共和国, 160 万。38 万。面積は82万km2で、日本の2.2倍くらいです。オバンボ族 Ovambo(50% 多分、バンツー系)、カバンゴ族(9%)、ダマラ族 Damara(8%)、ヘレロ族(8%)、白人(6%)他。公用語;英語。もと South-West Africa と呼ばれ, 1915 年より南アフリカ共和国の占領下にありましたが 1990 年に独立しました。 人種の構成は資料によっていろいろのようです。Ovambo族が多いのは確かで、黒人でも外見が異なる San、Nama族(ブッシュマン系でしょう。)それにドイツ人との混血らしい小さい白人 Rehoboth Basterがいるというのもあります。ブッシュマンというのは欧米人が、茂みの中を移動する彼らを見て bushmanと名付けたもののようです。Sanは人という意味のようです。食物採集者というのもあります。原始的な人々と見なされてきましたが、ちゃんと芸術?も遺しています。また、Sanは Nama族の言葉で「寄る辺もなく茂みに住んで採集で生きている貧しい人々」というのもありますが、そんな長い意味があるわけはないでしょう。Sanがそういう採集民族であることを説明したのを、Sanの意味と勘違いしたのでしょう。Namaの意味は分かりませんでしたが、日本では歌でちょっと有名なホッテントットはこのナマの仲間です。意味は古オランダ語でドモリらしいです。かれらの言葉の特徴がどもるように聞こえたらしいです。 モザンビークと同じく、もともと、ブッシュマン系の人たちか居たところへ、バンツー系の黒人が大移動してきたところのようです。19世紀に入ってドイツ人が占領するまでは、あまりヨーロッパ人はあまり、来なかったようです。第一次大戦中、イギリスが支配していたWalvis湾を別として、南アフリカが占領し、第二次大戦後は、それぞれ領土として併合しました。 1966年、SWAPO:South-West Africa People's Organisationと呼ばれるマルクス主義の集団が国名を Namibiaとして独立のゲリラ戦争を始め、1988年に国連の調停に南アフリカが同意するまで内戦が続きました。1990年に正式に独立し、1994年にはWalvis湾もナミビアに属することになりました。 国名の由来は、南部のナミブ砂漠 namib に由来し、ナマ族の言葉で「障壁」、またはコイサン語で「人のいない土地、何もない土地」といわれているそうです。、別の資料ではやはりナミブ砂漠から来たもので、 Namibはナマ族の言葉で「何にもない土地」となっています。まあ、似たものです。 青は希望と大西洋の恵みを、赤は独立の闘争で流された血を、緑は実り豊かな国土を、白線は繁栄を象徴する。輝く太陽の12の光芒は、12の主な種族の協調と統一を表わしているというのがありますが、国家シンボル小委員会とかいうところが1990年に記者発表したところでは、赤はナミビアの英雄的な人々とその平等な未来を築く決意を、白は平和と統一を、緑は農業資源を、青はナミビアの空と大西洋、それに、この国で貴重な水を、金色の太陽は姓名とエネルギーを表しているということです。→アフリカの地図