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モザンビーク(Mozambique) .mz

首都 マプト (38 万) (Maputo)

 国際電話番号 +258

 アフリカ南東部の国。 公式名 モザンビーク共和国、国土面積 801,590km2、人口 21,397,000人(2007)。バントゥー系諸部族. 公用語: Portuguese. 宗教: 土着信仰, キリスト教, イスラム教. 通貨: metical。もと Portuguese East Africa, 1975 年独立。

 この地にはもともと狩猟採集のSan、別の名をブッシュマンの住民がいたところへ、農業と鉄器のバンツー語族が1世紀から4世紀にかけて北からザンベジ川を経て次第に海岸地方まで達したということです。
 ヴァスコ・ダ・ガマが1498年に来たときには、すでにアラブ人が数世紀にわたって海岸地方に植民し、
スルタンと呼ばれる豪族の支配下にあって奴隷貿易をしていたようです。最初は、ポルトガルが東方への新しいルートとしてモザンビークという小さな珊瑚礁の島を占拠し、以後、東海岸に植民地を広げていきました。
 しかし、モロッコ遠征に大敗して王も失ってスペインに併合されたポルトガルは勢力を失い、植民地は荒廃していきます。その後もヨーロッパ人の進出は続いて19世紀まで大規模な農奴制と奴隷貿易が続きます。1891年にポルトガルはモザンビーク会社を作って管理しようとしますが、この会社は大部分、イギリス人が牛耳り、イギリスが支配する南アフリカの金鉱、農園に奴隷労働者を送り込みます。
 第二次世界大戦が終わって、ヨーロッパの多くの国は植民地の独立を認めていきますが、ポルトガルは海外県として併合を試み、大規模に移住を進めましたが、これと並行して独立の動きが盛んになり、1964年に戦端を開きます。以後、十数年の戦いの後、1975年に独立を果たし、共産政権が樹立されます。
 これに対して、南アフリカの支援を受けた反乱軍が形成され、内戦になりましたが、南アフリカのアパルトヘイト政策が1990年に崩壊し、反乱軍も糧道を絶たれ、国連の仲介のもと、和平が結ばれ一応は民主主義憲法が制定され、1994年には選挙も実施されました。
 モザンビークは一度もイギリスの直接支配を受けたことはないのですが、ポルトガルを差し置いて1995年に英連邦に加盟しました。
 国名の由来ですが、古くからあった港町モザンビークの名をとったもので、意味はバンツー語の masam 「集まった」と buco 「船」で、全体として「停泊港」なんだそうですが、裏付けはとれません。19世紀、反乱軍を鎮圧した Mouzinho de Alburquerqueという人物の名前にちなんだ、というのがありましたが、どうでしょうか? 07/04/11 彼は冷酷に現地民を鎮圧したということでモザンビークの人々が国名として取り上げるとは考えられないようです。現地の人の国名の発音はモカンビーク、Mocambiqueのようで、これはヴァスコ・ダ・ガマが航海記録に記載した沖合の島の名前としてあり、時代から言って第二の説は否定されます。そして Mozambiqueは現地語で"place of our boat(s)"とあり、最初の説がほぼ裏付けられます。
 08/01/28 最近、アフリカの国の首都名の由来を求めて来る人が目立っています。ここの首都のマプトはこの地域の伝説的な指導者であったマプタ Maputaを記念するものだということです。1985年に独立したときからの名前で、それ以前は最初にこの地域を探検したポルトガル人、ロレンソ・マルク Loureno Marquesの名前、そのままだったようです。 国旗の意味については、似たようなものですが、二つを紹介しておきます。一つは、緑色は農業を、黒色はアフリカ大陸を、黄色は鉱物資源を、白線は平和と正義を、赤色は植民地解放闘争を象徴する。紋章の本とクワと銃は勉学・生産・闘争を意味し、星は独立と政治信念を表わすというもので、もう一つは緑は農業、黒は国家統一、黄は鉱物資源、白は平和、赤は独立闘争で流された血、銃・くわ・本は兵士・農民・知識階級間の連帯を象徴するというものです。
駐日モザンビーク大使館(外務省のページで住所がわかるだけです。)

アフリカの地図

↓モザンビークの地図