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マレーシア(Malaysia) .my

首都 クアラルンプール (45 万) (Kuala Lumpur)

 国際電話番号 60

 東南アジアの国、国土面積 329,758 km2。 人口 26,207,102人(2005)。マレー人が過半数, ほかに中国系, インド系など. 言語: Malay (公用語), English, Chinese, Tamil など. 宗教: イスラム教 (国教), 仏教, ヒンドゥー教. 通貨: ringgit。Malay 半島の南部 (West Malay) と Borneo 島の北部 (East Malay) とからなっています。
 マレー半島はインド、中東方面と中国との交易の中継地として、また、スズを中心とする資源で栄えた歴史があります。最初はインド人が来てヒンズー教が盛んになり、次には9世紀から13世紀にかけては仏教が盛んになり、14世紀からはスマトラ方面から入植が進み、マラッカ侯国を形成してイスラム教が支配的になったということです。
 1511年にポルトガルの艦隊がマラッカを占領して、ヨーロッパの植民地時代がはじまります。1641年にはオランダ人がポルトガル人を追い出し、そのオランダ人も1795年にはイギリスに取って代わられ、その後、ゴムとスズの生産が盛んになりましたが、1941年に日本軍が占領して、イギリス軍を放逐して、独立の機運が出て、1946年にはシンガポールを除く「統一マラヤン」Malayan Unionを形成しましたが、マレー人の反発により、1948年に少しゆるやかな統合である、シンガポールも含むマラヤ連合 Federation of Malayaになりました。1963年に現在の国名に改めています。
 その後、共産ゲリラがタイ国境付近から台頭して、内戦の時代がありましたが、1989年には和平が成立しました。しかし、サラワク、サバなどについてインドネシア、フィリピンとの領土争いがあり、ブルネイは切り離され、民族問題もあってシンガポールは1965年に独立
しました。今は、米英の圧力によって落ち着いていますが。
 マレーシアには国王がいます。9つの州のサルタン(これも王みたいなものですが、)の中から5年ごとに互選されるということです。役目としては天皇と同じようです。
 独立後、しばらくの間は首相も王族がなっていましたが、1981年にはじめて、マハティール首相が平民首相として登場し、それまで華僑などの経済の実権を握られていたのをマレー人に取り返そうというブミプトラ(マレー人は自分たちのことをそう呼んでいます。意味は「土の息子」だそうで、"princes of the Earth"というのもあって、まあ似た意味でしょう。)政策をとり、同時に、日本を手本に経済発展を遂げようとルックイースト政策をとり、実績を上げました。
 国名ですが、
サンスクリット語malaya「山地」に由来するのだだそうです。タガログ語で "Malaya"は「自由」というのもありますが、ちょっと出来すぎのような気がします。Malayaは、サンスクリット語、実際にはドラビダ語の Malaiから来た言葉して"a hill"というのがあり、山地説が有力だと思います。
 国旗は月星マークから回教国であることは明らかですが、スターズアンドストライプスを想起させるものがあります。やはり似た考え方で赤と白の横線は独立時の14の州をを表し、黄色はサルタンの権威を表わして、全体の配色はかつて宗主国であったイギリス国旗の配色に由来するということです。現在のやや不自然な国境は米英の後ろ盾があったようなので、そういう発想になったのかも知れません。オフィシャルな書き物によると、ユニオンジャックにならったという記述はなく、濃紺は統一を表すということです。その他の点は同じですが。
マレーシア百科 民族と宗教にかかわるもろもろが詳しく記されています。
 マレーシアの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
 たまたま見つけたマレーシア、シンガポールの旅行記です。 もう一つ
マレーシアの歴史 →アジアの地図

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