インド洋中北部の環礁群 (the Maldive Islands) 1,196の島からなる国です。全部で 300 km2あります。 公式名 モルディヴ共和国。人口 349,106人(2005)。もと英国保護領, 1965 年独立, 英連邦に加盟しています。ディベヒ語 Dhivehi。 伝説ではスリ・ランカの王子、Koimaleが王女である花嫁といっしょにここに漂着して最初のスルタン、つまりイスラムの王様みたいなものになったということです。その後、数世紀の間、アラビア海やインド洋沿岸から船乗りが訪れ、中でも、いまのインドのケララ州の Malabar海岸からの Moplaと呼ばれる海賊には悩まされたということです。16世紀に入ってポルトガル人が征服し、1558年-1573年の間、支配していましたが、後にスルタンになる戦士・Muhammad Thakurufaanu Al-Azamによって追い払われるまで支配していました。そして1153年から1968年にかけてイスラムのスルタン制の独立国でしたが、1887年からはイギリスの保護領になりました。 イギリスが目をつけたのはセイロン駐屯のイギリス長官 H.C.P. Bellがこの付近で難破し、仏教遺跡の調査をしてからのようです。古代のモルディブ人はインドのケララ州あたりからでドラビダ語の古タミル語だったようで、近くの Lakshadweep島では今も古タミル語に近い言葉を使っているようです。しかし4世紀末頃にはセイロンに始まる Theravada仏教が支配的盛んになったようですが、いつしかイスラム文化に取り込まれ、今では国教になっています。100%がイスラム教で、他宗教では国民になれません。スンニ派です。 20世紀初頭、ハイヤダール Heyerdahlという人物が遺跡を調査して、古代にはエジプト人、メソポタミア人、インド人の通商ルートになり、太陽崇拝の人々が住み着いたと推定しています。その根拠は普通はメッカの方向を向いているはずのモスクが太陽の方向(東なんでしよう。)を向いているというのです。なぜか?というと土地も建築材料も乏しいために、以前にあった建築物、つまり太陽崇拝の寺院の基礎をそのまま使ったからというのです。今ではメッカの方向に向けて立て直されているそうです。建築材料としての石材は少ないのですが、サンゴがその代わりをしているようです。仏教遺跡は被写体としては面白くないのか?「モルディブ 仏教遺跡」で検索するとたくさんひっかかりますが、遺跡の写真は見あたりません。 1988年11月スリランカの傭兵が侵略してきて、モルディブ政府の要請により、インドの空挺隊が2,000キロを無着陸で夜間降下して数時間、それも無血で制圧してインド軍もやるものだという評判になりました。 2004年12月26日の津波では、温暖化で沈没が心配されるしまですが、平ったい土地が幸いしてか津波が駆け上がらず、高さは 1.5 m以上にはならなかったようですが、それでも 75人の死者がでました。 1965年に独立したのちも三年はスルタン制が続いていましたが、1968年に共和国として再発足しました。漁業と観光でもっている国です。 最初の国名は"Ad-Dawlat Al-Mahaldheebiyya"だったということで、意味は後半の部分がモルディブで、前半は国らしいです。ほかに、現地語mala「小高い」とdiva(dive)「島」の意というのがあります。Wikipediaでは「宮殿」または「山の島」とかけ離れた由来が示されています。後者の方は小高いとも通じるので、これがいいところでしょう。Wikipediaはまた、前半のMalはアラビア語の al-Mahal、マレー語の malaiかタミル語の malaとかで、後者のdivesの方はサンスクリット語の dvipaとか、かなり無茶苦茶です。もう一つ「島の栄冠 garland of the islands」というのも示されています。 国旗の三日月と緑はイスラム教のシンボル。赤は自由と独立のために流された尊い血の犠牲を、緑は平和と繁栄を象徴する、ということです。緑は具体的には、この島に無数にあって生活の糧になっているココヤシらしいです。 モルディブの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。→青年海外協力隊員のRoad to the KING→インド洋の地図