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ミャンマー(Myanmar)旧称 ピルマ(Burma、 Myanmar は現地語名) .mm

首都  ヤンゴン (250 万) (Yangon; 旧称 Rangoon)

 南アジアの国; 公式名 the 8nion of & (ミャンマー連邦), 4400 万。ビルマ族 70%, シャン族, カレン族, カチン族など. 公用語: Burmese. 宗教: 仏教が大部分. 通貨: kyat。
 ビルマの歴史は9世紀、中国・チベット国境・雲南方面からイラワジ川の中流(Irrawaddy 今は Ayeyarwaddyと書くようです。)に住み着いた時代まで遡ることができるようです。北から南に国土を縦貫してインド洋に注ぐこの川は "Road to Mandalay"として知られた主要な輸送路でした。それ以前にも西暦のはじめ頃にモン Mon族がシッタン Sittan川下流地方に定着し、農耕技術やヒンズー教・仏教がインドから伝えられていたそうです。この雲南方面から南下した種族が先住民を同化吸収し、ついでに仏教に帰依して1057年にはイラワジ河畔のパガンに最初のビルマ帝国、パガン Pagan王朝が成立します。それが1287年にモンゴルのフビライ汗(Kublai)の軍によって完膚無きまでにやられていくつかの国に分裂しました。その名残が山岳地方に住むシャン族(Shan)やカレン族(Karen)で、事実上は独立というか中央の支配を受けていません。 その後、16世紀中頃にはトゥングー TaungNgoo朝が,18世紀にはアラウンパヤ朝が成立しました。15世紀末にはポルトガル人が来て商業基地を作りましたが、支配を広げることはできず、1613年にはポルトガル軍を決定的に敗北しました。
 18世紀頃にはイギリス支配下のインド、つまりブリティッシュインディアと衝突が始まり、これは他のヨーロッパの国とは桁違いな強敵で第一次ビルマ戦争(1824-26)で一部がイギリス領土となり、第二次ビルマ戦争(1852)で南半分が、インドの一州
になりました。北に残った Kone Baung王朝のミンドン王 Mindonは石油の国有化など、国力の増強につとめましたが、その王子のThibawの代には、ついに第三次ビルマ戦争(1886)となり、結局、国全体がブリティッシュインディアに組み込まれました。
 経済的にはイギリスの恩恵を受け、インドから切り離されたのは1935年のことで、自治領とする約束でした。ところがそこに、1942年に日本軍がイギリス軍を追い出しました。ミャンマーの建国の英雄でスーチー女史の父であるアウン・サンは最初、イギリス軍がいなくなって喜んだのですが、やがて日本にビルマの独立を認める気がないのを知ると、イギリスと連絡をとり、戦後に独立を認める約束で、強力な一万の兵を連合軍側につけさせることにしました。
 かくて、1948年に晴れて独立を果たしました。その後、山岳民族の分離の動きはくい止めましたが、完全な支配下におくことは出来ずにいます。
 アウン・サンはしかし、この独立を前に政敵に暗殺され、親密な同士であったウ・ヌー U Nuが、後をついで首相となり、しばらくは平和の時を持ちました。そして1962年に選挙で勝利したのですが、ネ・ウィン Ne Winがクーデターに成功し、民主主義は終わりを告
げました。
 国名ですが、1989年にビルマ政府は国名をミャンマーと改めることを宣言しました。このとき、首都のラングーンもヤンゴンと改めました。一応はそうなのですが、軍事政権を承認していないアメリカとかオーストラリアはまだビルマと呼んでいるようです。これに関してはミャンマー外相のウ・ウィン・アウン U Win Aungが次のようなことを言っています。
 ミャンマーは6世紀、まだ、王国などの無いころ、住民が自らを指して使っていた言葉であり、Myanは「速い」を、Marは「強い」を意味するのに対して Burmaは何の意味もない。また、首都のヤンゴンの名称についても Yangongは「敵対の終わり」を意味するのにたいして Rangoonは何も意味しない。
 これについては傍証は取れませんが、日本の国名の意味はというサイトに次のような記述があります。
「サンスクリット語のムランマmranma「強い」に由来し、ビルマ語でミャンマーmyanma「強い人」の意。旧称ビルマはヒンドゥー教の創造神ブラフマBrahma(仏教の梵天)といわれている。」
 しかし、この議論はこのままでは終わらない可能性があります。ビルマの名称はアウン・サン・スー・チー女史が今も使っているからです。一説によると、ビルマもミャンマーも同じ意味で前者が文語的なのに対してミャンマーは口語的で人々はどちらも使っているというのがあります。英語版のWikipediaもこの説です。
 ビルマの英語は Burmaで、バーマということになりますが、日本ではどうしてビルマと呼んでいたのか、これについてはポルトガル語から、というのとオランダ語からという説があるようですが、付き合いの長さから言うとオランダ語の Birmaからと考えられますが、最初にミャンマーに乗り込んだのはポルトガル人のようで、オランダ人はポルトガル語のBirmniaを参考にしたのではないでしょうか?
 国旗は現在の国旗は旧ビルマ革命政府が1974年に制定したもので、赤は勇気と団結、青と白い星は進歩と純粋性、14の星は州の数、稲穂は農民、歯車は労働者を表すということです。別にそれ以前と違ったわけではなさそうです。
 ミャンマーの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
アジアの地図

↓ミャンマーの地図