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メスティーソ(Mestizo)

 混血人という意味で、特にスペイン人とアメリカインディアンとの混血ですが, ヨーロッパ人とインド人・黒人・マレー人との, またはフィリピン人と外国人との場合もメスティーソだということです。
 もう少し詳しく言うと、Mestizoはスペイン語で、ポルトガル語ではMestio、フランス語は Mtisとなります。読み方もメスティゾだったりメスティソだったりします。このほか、父方と母方の人種によっていろいろな呼び方があります。さらに詳しくはインディオの方を見てください。実はこのページのことを忘れてインディオの解説を別に書いてしまいました。罪滅ぼしに最初のメスティソを産んだ女性と言われるマリンチェ Malincheのことを紹介しておきます。
 マリンチェの出自、名前についてははっきりしたことは分かっていません。当時はマヤ語のほかにもナワトル語というのもあって、その二つに通じていて、はっきりはしませんが、伝説的にはアステカの貴族の生まれだったが没落してマヤの領主に 売られて、次にほかの何人かといっしょにコルテスに差し出され、コルテスが彼女だけを受け取ったということです。
 コルテスの愛人として、通訳として、また顧問として時には現地人との仲介をしたりして、大いにコルテスに貢献したということです。一説には反乱の企てをコルテスに知らせることもしたということです。
 愛人として子も生んでおり、それが最初かどうか分かりませんが、象徴的には最初のメスティソということです。彼女の名前はほんとにはっきりしなくて、La Malincheと定冠詞をつけて呼ばれるところから見ると一種の称号のようです。Malintzinとか Doña Marinaとも呼ばれており、Doñaも尊称でしょう。Malintzin Tenepalが元の名前ということになっているようです。
 彼女が奴隷として差し出されるとき、コルテスが洗礼させ、その時の洗礼名が Marinaで、多少は元の名前に近いということでそうなったのかも知れませんが、MalincheはMalintzinのスペイン訛りとも考えられます。Marineに現地語の尊称 tzinをつけて Marintzinとすると、現地語で高貴な虜囚ということになるらしいです。そういうことで laの定冠詞がつくのかも知れません。一説には彼女の元の名前は Malinalliで、これは daysignというマヤ文明のカレンダーにおいて各日付に十二支や十二宮みたいな名前があって、その daysignを含むように名前をつけるという習慣があって、それによると、Malinalliは「一本の芦」だということです。daysignにも良いものと、悪いものとがあって芦は悪い方のようです。
 名前と同様に生誕、没年もあやふやで生年について 1496年、1505年、没年については 1529年、1550年と説があります。コルテスと別れた後、再婚したとも言われています。
 彼女の果たした役割から売国奴、淫売と蔑まれることが多かったのですが、時代の犠牲者とも言える女性でしょう。彼女は美人だったのでしょうが、特に肖像画が残っているよわけではありません。アステカ文明の一部族でトラスカラという部族(早くからコルテスに協力的だった部族で征服後は特権的地位にあったということです。)に関する伝記があって、その挿絵に彼女が見られますので右に表示します。中央に居るのがマリンチェとコルテスです。大きなオバちゃんという感じですが。