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カザフスタン(Kazakhstan) kz

首都 アルマトゥイ (120 万) (Almaty)

 中央アジア北西部, カスピ海から Altai 山脈に至る地域を占める国; 公式名 カザフスタン共和国, 1700 万。18 万。1936-91 年の間はカザフ共和国 (the Kazakh SSR) の名でソ連邦構成共和国でした。
 ○○スタンという国は、この国の近くに集まっていますが、ペルシャ語の地方という意味らしいです。ペルシャ帝国は、トルコまでも達する広大な国だったようです。紀元前 5世紀ごろの話です。
 国名はトルコ語のカザクquzzaq(自由の民、放浪の民)とペルシャ語の組み合わせになっている、と説明していたサイトがあったのですが、何もそうひねらなくてもロシア語の Kazakhも同じ意味のようです。コサックと同じ意味です。コサックの民は、勇猛で知られて、コサック兵として重用されましたが、独立心が強いというか、誰にも従属せず、支配しにくい民族だったようです。農業はあまりせず、遊牧、漁業と略奪の民だったようです。土地を奪われたものの仕方ない稼業だったのかも知れません。ステンカ・ラージンの歌で知られる、ドン・コサック、つまり、ドン河流域に住むコサックもこのあたりでしょう。コサックは民族なのか、よくわからないのですが、ロシア、ポーランドの農奴として搾り取られるのを逃れて、きた人たちのようです。住んでいた地域により、ウクライナ・コサック、ドン・コサック、ウラル・コサックとか、いろいろあるようです。
 一つ、気になるのは、教科書の世界史では登場することのない、カザール Khazar、あるいはハザール帝国との関係です。東洋史で西突厥と呼ばれていたらしいのですが、ポーランド、ウクライナ、ロシアの南の広大な地域を支配していて、ロシアの前身と頻繁に争った歴史があり、ビザンチン帝国とは王の婚姻関係まであって、10世紀に消滅した国との関係です。その版図にはカザフスタンも含まれていて、またコサックの居住地域とも重なっているようです。ハザール帝国はユダヤ教を国教にしていたと言われる珍しい国でしたが、別に今のカザフスタンにユダヤ教の人がいるわけでもなさそうです。もっとも、ユダヤ教を国教としていたと言っても、政略として支配階級だけが改宗したようなので、居なくてもおかしくはありませんが。アゼルバイジャンには Khazar大学というのがありますから、こちらの方がカザール帝国の中心だったのかも知れません。080308 カザールの地図を探して来る人がいますので Wikipediaから探して収録しておきました。
 現在は13世紀に移ってきた、トルコ系とモンゴル系の遊牧民が入り交じっています。国としてまとまることはなく、18世紀にロシアに征服され、1936年にはソ連邦に組み込まれ、北部へのソビエトからの入植が進み、1992年に独立したわけですが、国としてのまとまりが問題のようです。資源は石油、ガス、金属に恵まれ、可能性を秘めているようです。
 ところで、ステンカ・ラージンって何、歌は聞いたことがあるけど、という人があるかも知れません。実は私がそうです。何となく、流れるような美しいメロディーと言葉の印象があるのですが、その意味を知ると、大変、こんなことが許されるのか? それを歌にして称える文化というのは?という気がします。嘘だと思ったら、ロシア民謡の謎を追う!に行ってみてごらんなさい。
 国旗の空色は青空で未来への希望を表しています。金色に輝く太陽、その下には鷲がいます。左の方の飾りは national ornamentation: 国の模様といったもので、これに類するものはベラルーシや、トルクメニスタンにもあります。セーターなどにこの模様を編み込むとかっこよさそうです。

以下は作者の勝手な想像です。引用などはやめて下さい。

 Khazarとコサックの関係が気になってネットでいろいろ調べると、どうやらKhazarは Cossackの語源にもなっているようです。とすると、ここで私なりの大胆な説を立てますが、コサックは逃散してきた農民ではなくて、もともと、ポーランド、ウクライナ、あたりまで進出していたカザール人、その正体はこれまた謎ですが、多分、三世紀頃のこれまた謎のフン族の西進、これが東洋史に出てくる匈奴かな、と思いますが、そのフン族のなれの果てかな?と思います。
 フン族はモンゴル系と言われますが、モンゴルの大進撃でもモンゴル人自身が進撃していったのではなく、一部は進撃したのでしょうが、途中で玉突きで押し出すように、次から次と軍勢は入れ替わっていったのではないでしょうか? 日本の蒙古襲来だって、モンゴル人自身は少しはいたかも知れませんが、草原出身の彼らが海軍を操れるはずもなく、主力は朝鮮の高麗人だったはずです。調べているうちにフン族には実は White Hunと呼ばれる 肌の白いフン族がいたことも分かりました。
 多分、匈奴というのも、東洋人から見れば紅毛碧眼の西洋人みたいで、西洋人には東洋系に見えるといった具合だったのではないでしょうか? 匈奴をはじめ、突厥、フン族とある時期、活躍して歴史から消えていった民族がいますが、ほんとに人々が消えたはずはなく、その子孫は世界の各地に残っているはずでしょう。ジンギスカンだって、ほんとに今のモンゴリアの出身だったのか?、ジンギスカンのモンゴル族は、実は世界中に散らばっているのかな?と思います。ナポレオンがモスクワまで進出したとき、「アジアだ!」と言ったということですが、西ヨーロッパから見るとモスクワも東洋だったわけです。もっともそれは、モスクの様式の建物を見てのことだったでしょうが、タタールのくびきを考えれば今よりはモンゴル系の人も多かったのかも知れません。
 で、コサックは何者かというと、カザール人がもともと、東欧まで進出していたところに北のスカンジナビア方面からノルマン人とかスウェーデン人とか呼ばれる川のバイキングがやってきて、支配階級になり、カザール人はその下で農奴の地位になり、それが苦しくて逃散して、もとのカザール人の社会からも除け者にされてKazakhとか、英語の Cossackとかの別名をもらうことになったのではないでしょうか?。そして、それも歴史の流れの中ではいつしか同化していって全体がコサックということになったんだと思います。ロシアの歴史を見ると、カザフスタンのコサックは逃散してきたというよりも原カザール人なのかな、と思います。今、この国の西側にあるカスピ海は水深がだんだん浅くなってきているらしいですが、ロシアの考古学者が海底にカザール帝国の廃墟を見つけたと言っているそうです。ちなみにカスピ海は昔はカザール海だったらしいです。

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