韓国(South Korea) .kr首都 ソウル (810 万) (首爾 Seoul) 国際電話番号 +82 大韓民国、国土面積 98,480 km2。人口 48,598,175人(2004)。朝鮮人。 言語: Korean、朝鮮語 宗教: 仏教, キリスト教. 通貨: won。韓国として独立したのは1948年です。朝鮮という言葉は日本人が口にすると、嫌われますが、それは日韓併合の時代を思い出させるからで、自称はチョソン Choseon つまり朝鮮です。チョソンと言えばいいのかも知れません。いや、Wikipediaでは朝鮮というと北朝鮮を認めることになるから、嫌われるとあり、北朝鮮のことは北韓、朝鮮人参は高麗人参、朝鮮戦争も韓国戦争と呼ぶらしいです。では朝鮮という言葉をまったく使っていないかというと、朝鮮日報のような伝統のある固有名詞はそのままです。 韓国の第二ドメインはイギリス型というか、日本と似ているようです。大学関係しか見たことはありませんが、ac.krです。 韓国の自治体と地図の検索のためのページをつくりました。韓国の行政区分は道、市、郡、区のほか、日本の町村にあたるものとしては邑、里、面、洞といったものがあるようです。日本の場合、郡はほとんど名前だけで、行政的機能はほとんどありませんが、韓国の場合は郡が市と同様の機能を果たします。この点、アメリカと似ています。アメリカの場合は町とかは別になくてもいい、という制度のようですが、韓国の場合は知りません。自治体の第二ドメインは少なくとも市、郡までは政府機関と同じ .goです。この点はイギリスと似ています。 06/Feb/17 韓国の韓国行政区分を検索してこのページ来た人がいました。そこでちょっとムキになって調べてみたら、ある掲示板に 古い大韓民国の行政区分は、五戸を 燐といいます。日本の向こう三軒両隣みたいなモノです。 燐が五つで里といいます。日本の村の中の部落や班みたいなモノです。 里には祠があり住民表が納めてありました。 里が拾ヶ以上集まって邑といいます。 邑や面が集まって郡が形成されました。中央から官史郡守が派遣される一番小さな行政区です。 里や邑は、盗賊や獣から財産・家畜を守るため塀で囲まれていました。表と裏に門があり日本の鳥居に似た杭が立っていました。 | |
と説明がでていました。 この検索ページを作るにあたって、かなりの韓国のサイトを訪ねたのですが、ほとんどのサイトで javascript類を多用していて、ごちゃごちゃと広告の窓は開くわ、スクリプトエラーは出るわ、果てはブラウザがクラッシュするわ、で大変でした。javaの類を無効にしておけば安心なのですが、すると何にも見れないサイトもあります。かなり公的なサイトばかりを訪ねたのですが、そうでした。ウェブの管理者が勝手に広告料稼ぎをしているのかな?と疑いたくなります。とにかくウェブの技術はかなりのもののようです。 国名は正式には大韓民国です。なぜ、大がつくのか、韓は何なのか、いろいろ、議論があるようです。大は大英帝国、大日本帝国と同じ発想だろうという説が多いようですが、韓の意味からすると、もともと、今の北朝鮮には高句麗という国があって今の韓国には、馬韓、辰韓、弁韓という国にあったということです。この三つの国はさらに新羅、百済、任那とかになったりしますが、最初にあった三つの韓をまとめた大韓とも考えられそうです。肝心の韓国大使館には国名の由来について触れていないので、想像でしかありません。 韓の意味という言葉を使ったので、「韓の意味」で検索して、このページに来る人がいました。韓の字は、大きいとか国とか、またチンギスカンあるいはチンギスハンのカン、韓国の標準の読みはハンで、これだと王みたいなもので、とにかくいい意味にはちがいありません。ついでに見付けたのが中国の史書によると韓とは遼東半島南部にあった倭人が移り住んだ朝鮮半島の地域を指しているという記述で Wikipediaにあります。また、同じく Wikipediaの倭・倭人関連の朝鮮文献を見ると、ずいぶんと交流があったことがわかります。この頃は、言葉も今のように違っていなくて、容易に交流できたのではないかと想像されます。同じ文法を持つと言われ、博多湾からは見える距離にある(西公園から見たことがあります)、この国と日本の言語が、どうして同音同意の言葉が無くなるまでに分かれてしまったのか不思議です。 ネットで調べていたら、『あなたは韓国人』という本が発行されたようで、いや、「発行される」という記事ばかりですけど。どうやら日本語は古代の韓国語であるとかいう説らしいです。反発する人も多いでしょうが、あり得ることでしょう。難解な万葉仮名は実は古代朝鮮語と考えるとよく解るものがあるようです。これは1994年に日本生まれの李寧煕・女史が『日本語の真相』として発表したもののようです。「あおによし」など、「やまとことば」として意味が理解しかねるような枕詞はそうなのかも知れません。この説にはもちろん反論もあって韓国語語源説批判が発表されています。どちらもネットで知ることのできる断片しか分かっていませんが、それぞれに納得出きる点と出きない点とがあるようです。もし、枕詞が古代韓国語であるならば、平安時代には日本語と韓国語はかなり分化していて、和歌を詠むような一部の知識人しか理解できなくなっていた、ということになりそうです。 神主の着衣と宮廷の服飾はかなり韓国に近いと思いますが、古代には交流が深かったのではないでしょうか? 韓国の人は奈良という地名はナラ つまり国という意味と考えている人もいるようです。確かに奈良はなぜ奈良なのかよくわからない地名です。それから百済観音とかがやたら多いのも気になります。意外と天皇家だけで使われる父母の呼び方としてのオモウサマとかオタアサマなどを調べてみると面白いかもしれません。私は大和朝廷は朝鮮の征服王朝だという説はかなり有力なものに思えます。 韓国の英語表記は Koreaですが、韓国ではもともと、Coreaだったのを日帝が、国際会議やオリンピックでアルファベット順で日本が朝鮮より後になるのを嫌って、日清戦争で勢力を伸ばして、圧力をかけた結果だという説があって、韓国で Coreaの表記に改めるとか戻す、とかの議論があるようです。英語版 wikipediaによると、中東の商人が Goryeoとか Koryoとか呼んでいたのが、Coreaとか Koreaになったとあります。古い文献には確かに Coreaが多いようです。しかし、日本と関係なく Koreaという表記があったのも事実のようです。COREA OR KOREA ?には詳しい考察があります(日本語)です。 06/Mar/08 また、リンクを逆にたどって『洪潤基氏の「天皇は韓神を祭る」の説』という記事を見つけました。天皇家の祝詞に古代韓国が使われているという洪潤基氏の説を批判したものですが、それにしても日本語としては理解不能な言葉が使われているのは確かのようです。 韓国のたいていの地名は漢字表記ができますが、首都のソウルは漢字表記がありません。いや、2005年1月18日に「首爾」に決めたということです。この表記は中国人がソウルに近い発音で読んでくれて(ショウアル)、なおかつ、元の意味に近いものを選んだもののようです。意味としては第一の都市という感じのようです。中国では「漢城」と表記していて、これはハンソンとかになり、まったく音は合いません。「京城」というのは日本が占領していた時代に勝手に名前をつけたもので、古い日本地図にはこの表記がありますが、韓国の人には気分の悪い表記でしょう。意味としては「首爾」と似たものでしょうが。「ソウル」の元の意味は「都」らしいです。つまり「ソウル」は日本の「ミヤコ」にあたる言葉、いわば日本の「やまとことば」に相当するもので、これまで漢字での表記を見合わせていたようです。「京城」が日本人の命名でなければ、すんなり受け入れられたかも知れません。 09/12/07 「ソウル地名」で検索して来た人がいましたが、検索結果の中に韓国の「月刊朝鮮」の趙南俊 理事の「漢城、漢陽そして京城」という記事があって、実は数百年まえから「京城」は使われていて、「京城新聞」というのもあったと記されています。 日本との関係で、一つ気になるのは百済の発音です。韓国での発音はペクチェとかペッチェのようで、これは百済を韓国風の音読みしたものです。「百済」は中国でそういう表記をしていたものを取り入れたもので、元々の意味は「大きい国」で発音としてはクン・ナラとかクニ・ナラみたいだったようです。ということは日本人の方が訛りはありますが、もとの韓国の発音に近い呼び方をしていることになります。百済は元々は中国での表記で、小さな国が乱立しているという少し軽蔑の意味のある言葉だったのではないか?と疑っています。ついでに新羅はシラギと呼んでいますが、韓国語読みでは Shilla シルラで、シラギと呼んでいるのは、又聞きの話で確認はとれませんが教えて!gooの古い固有名詞の読み方シルラとギィを合わせた言葉で、ギィは何かと言うと、「奴ら」みたいな意味で、新羅に追われて日本に亡命した人たちが悔し紛れにそう呼んでいたという記事があります。 いろいろ、考え合わせて想像をたくましくすると、古代には日本語と朝鮮語は意志疎通可能な程度に近い言葉だったのではないでしようか。でなければ、660年頃、斉明天皇の時代とされる、唐と新羅に攻められた百済の救援に駆けつけて白村江の戦いにはならなかったでしょう。この時、百済から人質として来ていた百済の王子・余豊璋が出向いて、戦いは大敗に終わって消息不明になり、百済は滅亡することになります。以後、朝鮮半島は唐など、中国の直接支配ではないにせよ、影響が強くなったと思われます。この頃から朝鮮半島と日本の間は疎遠になって、むしろ、新羅などの侵攻を恐れるという関係になったのでしょう。福岡の水城が築かれたのも、この頃のようです。中国の資料に水城の図があり、これ以前、4世紀にも日本の侵攻があったこと(多分、神功皇后の朝鮮出兵(三韓征伐)でしょうが、日本の資料と百年ほどズレがあります。)、百村江(韓国語の資料では百村江になっています。)の戦いの詳しい記述などがあるようです。 備忘のためにここに記しておきますが、百済王朝が最後に拠る所は扶餘(扶余)ですが、この扶餘という地名は古代の地図では中国側の国みたいなものとして出てきます。百済王朝の出自が中国側の扶餘らしいです。中国には今でも扶余県があります。 こうして間が疎遠になり、日本は中国の南方との交流を深め、一方、朝鮮半島の方は中国の北方との関係が深くなり、地続きということもあって、影響ははるかに大きく、古代朝鮮語はほとんど原形を留めないくらいに変遷したのではないでしょうか? 日本の方は中国語は入ってきたもののの、古代日本語が原形を失うほどではなかったのでしょう。ここで、中国の北方と南方での方言の違いで、漢字の読みも大きく異なってきたのでしょう。日本語の漢字の音読みは入って来た時代によって呉音、漢音、唐音とがあるそうですが、だいたいにおいて呉音、つまり福建省あたりの発音に近いのだそうです。朝鮮半島の方はペクチェなど中国北方の音読みに近いのでしよう。日本の場合は地名は東京、京都などの例はありますが、ほとんどが訓読みになっていて、もとの意味がたどれますが、韓国の場合はソウルは例外としてほとんどが音読みになっているようです。 そうした事情から、朝鮮語はもとの古代朝鮮語はほとんど失われ、日本の方には古代朝鮮語がかなり残っているのかも知れません。「やまとことば」と現代語の違いは原形を留めないというほどでもないでしょう。 日本語は古代朝鮮語であるという説は何となく、そうかな?と思えるところがあって本にするとよく売れるようで、1986年には朴炳植氏が「日本語の悲劇」、1989年には藤村由加(実は佐藤まなつ、北村まりえ、榊原由布、高野加津子を合わせたペンネーム)が「人麻呂の暗号」、李寧煕(イヨンヒ)の「もう一つの万葉集」が発表されて大売れに売れたようです。私はどれも読んだことはありませんが、いずれも万葉がなが、古代朝鮮語で解釈できるというもので、その解釈なるものは三人三様で、李寧煕さんの解釈では万葉集が猥歌集になるようです。 李寧煕さんは「日本語の真相」という本も書いていて、これを見ようという気になってネットで図書館にあるのを確かめて行ったのですが、あるべき場所に見あたらず、館員を煩わせて探すほどでもないので、他の本を物色して1990年・安本美典氏の「朝鮮語で『万葉集』は解読できない」(60ページくらいの雑誌の付録かとも思えるくらいの貧相な本です)と1991年・西端幸雄氏の「古代朝鮮語で日本の古典は読めるか」を見つけて読んで見ました。この二つとも、論法は違いますが、上記三人の論理を徹底的に批判したものでした。これで「日本語の真相」を読もうという気も消え失せました。この二氏の論を見れば、日本語=古代朝鮮語というのは根拠のない言葉の遊びに過ぎないという結論に至ります。出版社の良識が疑われる面もありますが、まあ、出版社は人を根拠無く誹謗するのでなければ、嘘を売ってはならないわけでもありませんから、それはそれで良しとするしかないでしょう。 つけ入るすきがあるとすれば、古代朝鮮語なるものについての資料は皆無に近いということです。これは全員が認めているところで、李寧煕さんは古代朝鮮語を知るためには日本語を勉強するほかない、とまで言っています。この彼女が古代朝鮮語で万葉集を解釈するというのも不思議ですけど。古代朝鮮語がどんなものだったのか、それはやはり、日本ではなくて本家本元で探すのが本筋でしょう。ソウルの例のように漢字にならない地名、キムチ、それを入れる壺とか瓶のハンアリなど、こうした言葉がどれだけ残っていて、古代の日本語にそれに対応するものがあるかということになるでしょう。望み薄ですが。ソウル、キムチ、ハンアリは"やまとことば"で解釈できそうにありませんから。漢字になってしまったものは百済のように元の発音は残っていない可能性が高いようですから。安本美典氏と西端幸雄氏にこれだけ完璧に論破されても、それでもなお、どうして文法が同じなのか、古代の交流の深さ(武寧王陵)はいったいなぜなのか?とい疑問は消えません。日本の場合は"やまとことば"だけで意を通じろと言われれば、ややこしいことでなければ可能ですが(いとみやびやかなるよのなかにならむとおもほゆ)、韓国の"ウリナラことば"ではどうなんでしょう。 Koreaの方は韓国産業人力公団 海外就業センタ-のサイトに詳しい記述があり、高句麗、新羅、百済などを統一して10世紀初めから14世紀後半まで半島を支配していた高麗の英語表記の Koryoからきたということです。高麗時代にサラセン商人が西洋に伝え、西洋人は高麗をコレ(Coree)とか、コリア(Corea、 Korea)と呼ぶようになったということです。これに似た呼称が13世紀半ばで、フランス人のG.リブリキの東邦旅行記に出ているという記事があるということです。 マルコポロの『東邦見聞録』では「カウリ(Cauly)」という呼称が使用されていて、 また、朝鮮時代である1606年にはローマへ行った韓国少年 アントニオ コレア(Antonio Corea)の記録があるそうです。リブリキとか、東邦旅行記については、このサイト以外では見つかりませんけど、詳しさから見て確かなのだろうと思います。 韓国の国旗の意味については韓国大使館のサイトに詳しく書いてありますが、中央の円は太極といって宇宙を表していて、国旗の別名も太極旗(大極旗 Taegukgi, Taegeukgi、テグッキ、テグキ、多分、太極旗の方が正しいのでしょう。検索してみると10:1以上で太極旗が多くヒットします。)だということです。 青は陰を、赤は陽を示し、万物は陰陽によって調和統一するとされるという考え方を表し、四隅にあるのは易の卦(け)で、天地火水、父母男女を表し、すべてが対比によって 和合していることを示している、あるいは陰と陽が互いに変化して発展する模様を示している、ということで、北朝鮮もそうですが、陰陽五行みたいな日本では占いなど、少しオカルトめいた思想に思われるものが、朝鮮半島の人には万物の根元の考え方として深くしみついているようです。 06/09/30 家内がネットで「韓国の国旗は実はイギリス人のデザインである」というガセネタを得意顔に教えてくれました。真っ赤な嘘かというとそうでもなくて、wikipediaに行くと、もともとは国旗の周りには八卦を全部、表示しようという考えだったようですが、イギリス人が、「これでは分かりにくいし、作るのも大変だ」というので四隅だけになったようです。2014/10/20 その後 いろいろなことがわかって清国の属国としての太極旗から微妙に変化して今の形になったようです。 ハングルについて ハングルは李朝第4代王世宗が学者に命じて1443年に作られ、「訓民正音」として1446年に公布されたのだそうです。8個の母音と14個の子音の22文字ですべての音が表せるという世界一合理的な文字とされています。日本のひらがなと同じく女子供の文字として浸透していきますが、官僚などの知識人は相変わらず漢文を使っていたようです。 この世界一合理的な表音システムですが、韓国の地名と地図検索を作っていて気になってのは、同じ文字でも語頭に来るときと語の途中では実際の発音が違うらしいのです。それが英語表記にもあらわれて、釜山は Busanなのか Pusanなのか、正式には Busanで、実際の発音に忠実だと Pusanになったりで、地名表記にはさまざまな表記があります。 表音文字なら語頭であれ、途中であれ、発音に従ったらどうだろうと思うのですが、理由があるのでしょう。私が考えるに、もともと、漢字文化圏でほとんどの言葉は漢字が元になっていて、ハングルの表記は元の漢字に対して定められているのでしょう。ハングルだけを使用するようになったと言っても漢字の呪縛からは逃れられないという実情があるように思います。 日本で、ひらがなやカタカナだけでぶんしょうをかくとひじょうによみにくくなりますが、朝鮮語の場合、語尾の母音に特徴があって、それほど読みにくくはならないのでしょう。 韓国の文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
→国立民族博物館・研究公演・固城五広大 戯"仮面の宴" →韓国大使館 →韓国の地名と地図検索 →ソウルの地名と地図検索 ↓韓国の地図
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