イラク(Iraq) .iq首都 バグダッド (218 万)(Bagdad, Baghdad) 国際電話番号 +964 西南アジアの国。 公式名 イラク共和国。国土面積 437,072 km2。人口 26,074,906人(2005)。アラブ人が大半, ほかにクルド人, トルコ系など。 言語: Arabic (公用語), Kurdish など。 宗教: イスラム教 95% (シーア派とスンニー派の割合はほぼ 2 : 1), キリスト教など. 通貨: dinar。 国土の大半は Tigris 川, Euphrates 川の形成する沖積平野, 古代文明発祥の地です。 今でこそ知らぬ人とてないイラクですが、以前は、どこ?という人も多かったでしょう。そんな人でもバグダッドはアラビアンナイトでシンドバッドが活躍する町として知っていたのではないでしょうか? 名高い、そして物語の国のようなペルシャの首都だったのが、バグダッドです。その意味はペルシャ語のバグ(園)とダッド(神)で「神の園」で、聖書に出てくる「エデンの園」の舞台になった場所だとも言われています。バグについては「神の与えたもうた(街)」という説もありますけど。とにかく町の真ん中をティグリス川が流れていて、文明発祥の地の一つのです。 762年にアッバス朝が、それまでの首都、ダマスカスから遷都したものです。ダマスカスは今はシリアの首都ですね。ペルシャ帝国の規模の大きさが分かります。北アフリカのカルタゴもペルシャ人の国だったのは歴史でも教わりました。その後、セルジュク・トルコなどの侵攻を受けたりして、衰退していきますが、1258年にフラグ・カン率いるモンゴルに大略奪と大虐殺を蒙り、アッバス朝も絶えて決定的打撃を受けます。1401年にはこれもモンゴル系らしいチムール帝国の略奪を受け、1534年にはオスマントルコに占領されました。結局、イラクが独立したのはイギリスの支配下でイラク王国が1921年に成立したときで、完全に独立したのは1956年のことです。 06/May/03 国名の由来について触れていませんでしたが、ネットを検索すると日本語では「低地」を意味する言葉とあります。英語だと、ウルク Urukという湿地からきたのだろうとあります。まあ、湿地は低地でしょう。このウルクはシュメールのギルガメシュ王が首都としていた町のようです。湿地は肥沃な土地でもあるわけで、ペルシャ以前、紀元前にはシュメール王国があったわけです。 もともとはペルシャの中心だったイラクですが、今、ペルシャ語を使っているのはイランだけでイランの方がペルシャの正統ということにはなりますが、サダム・フセインが1980年から1988年にかけてしゃにむにイランに侵攻したのはペルシャ帝国を復活させようという野望があったのかも知れません。1991年のクウェート侵攻も同様な試みで、サダム・フセインとしてはクウェートなんて米英が、石油のために傀儡政権を作っただけ、という気があったのでしょう。 国旗の中段には、アッラーアクバル、つまり「アラーは偉大なり」の文字が書かれているんだそうです。サダム・フセイン後の新政権が出来ても、この国がイスラムを国教とすることには変わりないでしょう。 →アジアの地図 →ペルシャ湾岸の地図 ↓イラクの地図
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