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マン島(Isle of Man) .im

首都 ダグラス (2 万) (Douglas)

 Irish 海にある英国の島で, 一つの州になっています。イングランド、アイルランド、スコットランド、それにウェールズのどれからも、ほぼ等距離のところにあって、面積は572平方キロで、佐渡島より一回り小さい島です。人口は 76,315人 (2001)です。このWikipediaでは、英国の法律上、この島は英国の一部ではなく、その渉外関係の面倒はイギリスが見るが、ヨーロッパ連合のメンバーにもなっていない、ということです。元首としては、イギリスのエリザベス女王を Lord of Mann: マン島の領主?として戴いています。言語としては Manxという、スコットランドやアイルランドに残るケルト族と北方のスカンジナビア方面からのバイキングが残した言語があります、というか、最後の話し手は1974年に亡くなったそうですが、復元の試みとして子供はこのマンクスを話すよう教育中らしいです。今現在、マンクスを話せる人は27人だということです。
 国名というか島名の由来ですが、はっきりしません。この地に住んでいたケルト人の一派はスコットランド高地人と同じく ゲール人 Gaelで、そのゲール語でマン島は Ellan Vanninで Ellanは英語のislandにあたりますが、Vanninの方は昔のゲール語では Mの音が Vとして発音されていたという苦しい説明になっています。ローマのシーザーの時代にはモナ Monaとか、モナピア Monapia、モナビア Monabiaとして記録されています。その後、メバニア Mevaniaとか ユーボニア Euboniaとか呼ばれています。その意味がさっぱり分かりませんが、Wikipediaでは「塔」という意味が示唆されています。水平線にそそり立つ島影という意味合いなのでしょう。その島影は見る方向によっては荒れ海にそそり立つ島影、また、そそり立つ岩壁になるようです。実際はビーチもあるようですが。 この島の国旗みたいなのは実に奇妙です。この紋章は日本語にすると三脚ともえ紋とか、三脚巴ということになるらしいですが、この紋章の三本の足の由来は諸説あって実際のところは誰も分からないのですが、インドをはじめ、ギリシャ、イタリー、アーリア人全体に共通する、非常に古い紀元前からのモチーフらしいです。その呼び名もいくつもあって、すべて3と足が関係しますが trinacria(シシリー島の中の地名のようです。)、トリスケリオン triskelion(ギリシャ語→英語)、トリスケレ triskele、トリスケル triskell(英語?)などの呼び名があります。フランス語は triqutreのようです。
 これらトリスケレの由来は分からないと言いましたが、一応、諸説を並べておきます。

バイキングの故郷に起源を求める人は、スカンジナビアの神話の中の天空を駆ける太陽のシンボルと考えています。

ケルトに起源を求めると、ケルトは何によらず三を尊重して、

とかを表すというのがあります。何が何だか分からなくなりますけど。
 奇妙なものですけど、シシリー島の紋章に似ています。シシリー島では基本的な形は同じですが、真ん中にメデューサがいたり、天使がいたり、足も、マン島では男の足で足首には拍車がついていたり、女性の足だったりします。
 シシリー島の旗が Wikipediaにありますが、いくつかのバージョンがあって、イタリア語、スペイン語などと英語、フランス語などでは微妙に違います。左側が、イタリア語の wikipediaのもので、右側は英語のものです。左側が正統派らしく、右側は天使風に羽があったりして、これは英語版とフランス語版だけのようです。
 もう一つ、これはどこだったか忘れましたが、左上の美女版といった感じのがあります。正統派では3本の足はどうも毛ずねのある男の足のようですが、天使版、美女版では生々しい女性の足のようです。その元をたどると下の右側のものに行き着くようです。これは筋肉もゴツゴツした男性の足です。真ん中の顔はメデューサが本来の姿らしいですが、蛇がはっきりしなくて、他のものでは麦の穂になったりしています。右下のはオドロオドロしい感じです。髪も蛇に近いかな?と思えます。メデューサは美女ということになっていますが、もともとは顔も怖かったのかもしれません。
 でもってシシリーとマン島との関係ですが、その前にシシリー島のシンボルがどうしてこうなったのか? はるか昔、ギリシャ時代にギリシャ人イタリアの長靴が蹴っている感じのシシリー島を見つけて、島の形が三角形をしているのを発見して三角形を意味する Trinacriaと名付けて植民し、三の連想からギリシャではよく知られた、このトリスケルだかトリスケリだかを島のシンボルにしたようです。つまり、シシリー島はギリシャの一部になっていたのです。ローマに帰するのは第一次ポエニ戦争後です。
 そのシシリーの紋章がどうしてマン島に渡って来たか? これについてはマン島の中でも意見の分かれるところのようです。マン島の人の中にはケルト系の人とバイキングに由来するノルマン系の人が居て、ケルト系の人は南欧の方に起源を求め、ノルマン系の人は北欧に起源を求めるらしいです。シシリーの方は南欧ですがケルト族と関係あるかどうかは知りません。
 一つ、有力なのは 13世紀半ば、シシリーがイタリア南部で勢力を張っていたときのこと、シシリー王は神聖ローマ皇帝の(これについてはまた別ページを建てようと思います。)のフレデリックII世 Frederickがシシリー王も兼ねていたときのこと(シシリー王としてはフレデリックI世)、1254年に三度目の妻としてイギリスのヘンリーIII世の娘 イザベラ Isabellaを迎え、その 4年のちに亡くなって、摂政として嫡出でないマンフレッド Manfredを樹てると、法王は彼を破門します(どうやら破門は歴代のシシリー王に降りかかる運命だったようですが)。マンフレッドの回答は逆にシシリーを乗っ取り、現在のイタリアの南半分までも手中に収めることでした。そこで法王はシシリー王の王冠をイギリスのヘンリーIII世の息子 エドモンド Edmondに引き渡します。エドモンドは軍を興し、シシリー王の紋章をつけた姿でマンフレッド征伐に出立します。そこにスコットランドのアレクサンダーIII世 Alexanderも加わります。そして事が終わって数年後、マン島はアレクサンダーIII世に譲渡され、その数年後の1266年に トレ カシン tre cassyn(マン語ではトリスケルをこう呼ぶのです。)はマン島の紋章になったということです。
 Norseつまり、スカンジナビアのノルマンに起源を求める話ですが、こちらはかなり弱そうです。今はリンク切れになってキャッシュもみつからない状態ですが、これが証拠という古代の壁画は目を凝らしてもどれがそうなのか分からないものでした。
 トリスケルはブローチなどの装飾品にあって、「トリスケル」で検索すると、多数ヒットしてアクセサリーショップに出会います。レストランなどが先に出てきますが、三位一体を意味するなどの記事も見えます。三位一体のシンボルに何もこんなケッタイの図柄を持ってくる必要もないでしょうが。装飾品として見られるのは右の感じのもので、これはノルマンとケルトに共通するモチーフで、一般にはケルトのものとされていて、三本足と同じくトリスケルと呼ばれていますが、モチーフとして別物のような気がします。
Wikipediaより
 マン島の話から離れてしまいますが、ギリシャ人は、何と考えてトリスケルを島のシンボルにしたのか?。実はこのトリスケルのシンボルは紀元前から、あったことは明らかなのです。現存するギリシャの遺物にその証拠があります。Wikipediaに右の画像があります。アンフォラ:水瓶みたいなものですが、それに書かれた絵の説明に「アキレスがヘクトールを引き出すところと、勝者の楯にトリスケルが。ボストン美術館所蔵、BC 510年」と書かれています。確かにトリスケルは描かれています。しかし、どれがアキレスでどれがヘクトールなのか見当がつきません。この話は長くなりますので別ページでホメロスのイリアドの概要をつけてお話しします。

08/10/14 このページへのリンクから、追っているうちにシシリー島はナポレオンとも縁があることがわかってきました。ナポレオンはイタリアを征服しますが、そのとき 1805年に兄のジョセフ・ボナパルテ Joseph Bonaparteにナポリの王位を贈ったのです。わずか三年の間ですが、その後1808年には義兄のジョアキン・ムラト Joachim Muratが王位を譲り受けています。そのころのナポリは「二つのシシリー」と呼ばれていてシシリーも含まれていたのです。そのため、ジョセフ・ボナパルテの紋章もジョアキン・ムラトの紋章もトリスケルが入っています。このトリスケルはなぜか真ん中に眼鏡のオジサンみたいなのが居ますが、これはメルキュール Mercure(仏)、つまり英語のマーキュリー Mercury、ギリシャ神話のヘルメスの頭だそうです。なぜマーキュリーなのかよく分かりませんが。足というか靴に翼がついている場合はヘルメスの足という記事は見つかりましたが。そういう画像は見つかりませんでしたが、普通は翼が付くと書いてありました。
 とにかくナポレオンはナポリには特別の気持ちを持っていたのでしょう。昔、初めてフランスに行ったときのこと、一膳飯屋で相席したアメリカ人が安いワインを飲みながら、大声で「フランス人って奴は馬鹿だ。フランス革命で優秀な奴はみんな殺してしまった。ナポレオンはあれはイタリア人だよ。」とまくしたてて、えっ、そうなのかと生半可に相槌をうった覚えがありますが、確かにコルシカはイタリアの方が近いし、名前も Napoleonは Napoliのleon、つまりナポリのライオンです。そのナポリの名前の由来はギリシャ人がつけたΝε?ケολιV", Nepolis、つまりNew Cityのようで、ローマ時代も長らく住民はギリシャ語を話していたようです。ヨーロッパの南の方は昔はライオンがいたのです。つまりもともとはイタリア人のはずです。出身地のコルシカ島 Corsicaもイタリアの地図を見てもらえば分かりますが、イタリアの属した方が自然な感じです。実はギリシャの最盛期にはギリシャの植民地になったりしていますが、イタリア人の前身でもあるエトルリア人が住んでいて、中世にはローマ帝国の中のジェノアとピサが所有を争ったりして、一時は1755年、コルシカ共和国として独立し1764年にはイタリア語の憲法まで作られていましたが、その最中、1764年にフランスがジェノアから住民ごと買い取っていたのです。その中にナポレオンの先祖も居たわけです。
イギリスの地図(マン島 Isle of Manは真ん中あたりです)

↓マン島の地図