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ハンガリー(Hungary) .hu首都 ブダペスト (206 万) (Budapest) 東欧の国、 ハンガリー語名は Magyarorszag。公式名 ハンガリー共和国, 1000 万。マジャール人が大部分. 言語: Hungarian. 宗教: カトリックが約 3 分の 2,カルヴァン派, ルター派など. 通貨: forint。
ほかにも中国語の「匈牙利」は後の世に西洋ではフンは匈奴であるということになっているのを知って字を当てたもので、もともとジンギスカンの元が攻め入ったときは、馬札兒」(マジャール)と呼んでいたというハンガリーの学者の説が大修館書店『月刊しにか』2000年3月号、94〜99ページの中にあります。 フンとマジャールの関係については下の URLにある記述が気になります。耳にしたことのない人名、名称が出てきて翻訳するのも気が引けるので原文を示しておきます。おおまかにはフンもマジャールも起源は同じであるということのようです。 http://www.russia.com/forums/printthread.php3?threadid=9887 The Hungarians, who call themselves Magyar, have an ancient traditional pre-christian account of their origins according to which they were the descendents of Nimrod (also spelled as Nimrud), son of Cush; Nimrod and Eneth had two sons, Magor and Hunor; Magor was the ancestor of the Magyars, and Hunor was the ancestor of the Huns, thus symbolizing the common origins of the Huns and of the Magyars. Ancient Byzantine sources mention that the Magyars were also known as the Sabirs who originated from Northern Mesopotamia, which was referred to as Subir-ki by the Sumerians who also originated from this land. Numerous other ancient and medieval sources also refer to the Scythians, Huns, Avars and Magyars as identical peoples. 歴史として少し系統だった説明では、Árpd、という人物が 9世紀にマジャール族を率いてやってきて、ハンガリーのもとになり、1000年にはハンガリー王国が成立して、けっこう周辺に文化的影響を与えて黄金時代もあったようです。ところが、16世紀はじめにオットーマン・トルコに征服され、さらに、17世紀にかけてオーストリアに征服されて、オーストリア・ハンガリー帝国の一部になりますが、1867年に一応、自治権を得ました。第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊すると、ハンガリーは領土も人口も縮小されますが、1918年に完全独立を宣言します。いろいろないざこざも1920年に解決し、王様のいない王国となり、1930年代、こんどはナチの影響下に入ります。そして第二次大戦が終わると、今度はソ連圏に取り込まれ、また、しばらく苦難の道がつづき、1991年にソ連邦が崩壊して、ようやく、本来の独立を取り戻し、1999年にはNATOに加盟し、2004年5月にはヨーロッパ連合に加盟することになっています。 国旗のデザインはフランスのトリコロールにならって、1848年に初めて登場したということですが、赤、白、緑の色については 9世紀に遡るということです。1945年までは、中央に王冠の紋章があったそうです。その後、1949年にハンガリー人民共和国として独立というか、ソ連圏に取り込まれ、このとき制定された国旗は、現在の3色旗の中央にハンマーと小麦の紋章が描かれたものでしたが、1956年にハンガリー動乱が起こり、独自の民主化路線を打ち出すとともにこの紋章は取り除かれました。 →国立民族博物館展示・ハンガリーの牧童のコート |