スイス(Switzerland) .ch首都 ベルン (14 万) (Bern) 国際電話番号 +41 ヨーロッパ中部の国; 公式名 スイス連邦, 人口 7,318,638 (July 2003) 。ドイツ系, フランス系, イタリア系など. 言語: German, French, Italian (以上公用語), Romansk. 宗教: カトリックとプロテスタントがほぼ半数. 通貨: franc。 スイスの国連加盟が2002年にようやく決まったんですよね。まったく意外でした。国民投票でやっとのことで決まったようです。スイスの建国について、二つの説が見られます。一つは、1291年に北東部三州(ウリ、シュビーツ、ウンターバルデン)が同盟を結んで建国したというもので、もう一つは現在のスイスの根幹になる3州が、オーストリアの支配から自治特権を獲得したのは1315年とあります。多分、この間にウィルヘルム・テルが活躍したようです。スイスの語源はこの三州の中のシュビーツSchwyz→Shwicer→Suisseのフランス語読みで、そのシュビーツの語源は古代高地ドイツ語のswaijazari「酪農場」からの転訛とありますが、ウラはとれませんでした。 ローマ時代、今のドイツ南部, スイス西部・北部のアルプス地方はヘルヴェティア Helvetiaと呼ばれていたということで、ヘルヴェティアというとスイス人のことのようです。アメリカのウィスコンシン州にHelvetiaという町があります。スイス人が拓いた町でしょうか。 このページに検索エンジンから来た人が居て、その人は「どうしてスイスのドメイン名が CHなのか?」単純に疑問に思ったようです。そういえば確かに不思議です。これに関する情報は日本語ではまずなかろうと、決め込んでGoogleで "why ch is the domain of Switzerland"で検索してみました。英語だと自然言語でもかなり正確に検索できるからです。でもこれは半分は失敗で300万くらいがヒットしました。それでも上位に、wikipediaの説明が見つかって、chは Confoederatio Helvetica、英語にするとConfederation or Helvetia、訳するとヘルベティア連合から来ていることが分かりました。Helveticaと言えば、フォントのヘルベチカ、このフォントは1957年にマックス・ミーディンガー(Max Miedinger)というスイス人がデザインした書体なのです。 そのついでに、このヘルベティア人は実はケルト人の一派だということも分かりました。ケルトと言えばスコットランド、アイルランド、その対岸のフランスのブルターニュとかブリタニーなどだけと、思っていましたが、ここにもいたわけです。そういえば、マックスなどという名前はマクドーナルドなど、アイリッシュ系の子孫であることを示す接頭語と似ています。フランスでは歴史でゴール人がいたことは知っていて、ド・ゴール大統領は多分、その血筋だったのでしょうが、これもケルト人のようです。Wikipediaの日本語版でもスイスの歴史からたぐっていくと、かなり分かります。ド・ゴールと結びつけるような乱暴なことはしていませんが。スイスフランのコインに HELVETIAと刻まれたのがありますが、これは通貨の単位ではなく、国名を表しているだけです。ネットで調べていたら 1スイスフラン=94.49円、40ヘルベチカ=37.80円とかの記事が見つかりましたけど、勘違いでしょう。 スイスの国旗と似たのは神聖ローマ帝国にもあります。13世紀の初頭に、ハプスブルグ家の所領だったのが、神聖ローマ帝国の直轄領になったとかで、縁は深いわけです。十字軍の旗(国によって色が違います)と似てなくもありません。赤十字の旗は創始者のアンリ・デュナンが、スイス人だったので、単純に、スイスの国旗の色を裏返しにしたものになったようですが、イスラム諸国にとっては、あまり気分のいいものではないようです。 スイス人の死後のジョークというのを見つけました。リンク切れになっていたら一番下を見てください。 もう一つ見つけました。 これも下に収録しておきました。 →ヨーロッパの地図 ↓スイスの地図
スイスの冗談好きのローランド・ヤコブさんは死後に最後の望みをかなえた。自分の訃報を新聞の転居通知として載せたのだ。ターゲス・アンツァイガー紙には「ローランド・ヤコブ住所変更のお知らせ:新しい住所はレハルプ墓地の区画番号4276です。ご訪問をお待ちしております。」と掲載された。(Ananova)【吉】 アルプスの山をスイス人がタクシーで登った。下り始めて、ブレーキが故障。制御不能になったところで、乗客のスイス人がなんと叫んだか。 “メーターを止めろ!” | |