アフリカ中部の国。 人口 58,317,930人(2004)。国土面積 2,345,410 km2。 コンゴ族, テケ族など Bantu 系諸部族. 公用語はフランス語ですが、実際にはキコンゴ語、チルバ語、リンガラ語、スワヒリ語とあります。 宗教: キリスト教, 土着信仰. 通貨: CFA franc。 もともと、ベルギー領コンゴでしたが、 1960 年に独立し、 1971 年 Congo から、モブツ大統領のもと、 ザイール(Zaire) に改称しました。このザイールというのは、特に民族に意味のある言葉ではなくて、ポルトガル人が、現地語の Nzadi o Nzere:すべての川を呑み込む川という意味のコンゴ川の別名をポルトガル風に発音したもののようです。ところが、1997年に「コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(ADFL)」が、このモブツ大統領の命名によるザイールをもとのコンゴ民主共和国にもどしました。西隣にはコンゴ共和国があります。こちらはフランス領でした。 この地は1万年には人が住んでいたということです。現在のバンツー族がナイジェリア方面からやってきて7-8世紀にかけて住み着いたようです。 ヨーロッパ人の植民は比較的遅く、イギリスの探検家・Henry Morton Stanleyが地図を作ってからのことです。1885年のベルリン会議でベルギー王・レオボルドII世に与えられ、王は私有財産とし、コンゴ自由国 Congo Free Stateと命名し、傭兵を使って住民をゴム栽培に酷使して富を得ました。無論、国際的な非難があり、マーク・トウェインなども先頭に立ちました。1908年、コンゴは国王の私物から今後政府の植民地に改めましたが、事情がそう変わったわけではありませんてした。 数十年の政治抗争の後、ベルギー政府はアルジェリアの二の舞になることを恐れて撤退し、独立国になりました。このとき活躍したのが初代の首相となるルムンバで、少数部族の出ながら全アフリカ人民会議のメンバーでもあり、ベルギー政府から逃亡したり、投獄されたりでしたが、ブリュッセルでの会議で独立に向けての交渉の先頭に立ちました。そして独立したのですが、軍隊はベルギー人が指揮していて、「独立で物事は変わらない」と反抗します。 ベルギー人の将軍を更迭するとベルギー人は脱出し統制はとれなくなります。コンゴの共産化を恐れるアメリカが後押しする国連軍が出動します。このときカタンガ州が独立を宣言し、ルムンバは国連軍に鎮圧を要請しますが、国連軍は平和維持軍であって戦闘しにきたのではない、と断ります。そこでルムンバはソ連の援助を招き入れます。かくて、アイゼンハウアー大統領はルムンバをソ連の手先と見て、ベルギーとともにルムンバの殺害を命じます。歯磨きブラシを使った暗殺は成功しませんでしたが、カサブブ大統領はルムンバを解任し、首相を兼任しますが、ルムンバの方も大統領を解任します。この後、ルムンバはモブツ大佐に軟禁され、いったんは逃亡しますが、ベルギー政府によって再逮捕され、彼と敵対していたカタンガに送られることになりますが、途中でベルギー人の指揮するコンゴ軍により射殺され、公式には部落民に殺されたということにします。そして世界中で抗議が巻き起こります。 モブツを援助したアメリカ・CIAはこの結果に満足し、モブツは権力を握りますが、こんどはアメリカの傀儡として非難されます。それでもモブツは1965年にクーデターでカサブブを廃し、大統領になり一党独裁制を敷きます。選挙も行ったのですが、候補者は彼一人という選挙でした。かくて見かけは平和が達成されますが、人権侵害と政権の腐敗が進行します。彼は40億ドルという国家の負債に匹敵する預金をスイスの銀行に持っていました。彼は国名をザイール Zaireと改めます。 米ソの冷戦が終結すると、アメリカはモブツを必要としなくなり、対抗勢力の改革への要求も強くなります。1994年来、コンゴはルワンダやブルンジの内戦からの大量難民から引き起こされた民族抗争に巻き込まれます。1997年、カビラによる反乱でぐらつき、ここで、国名は元の「コンゴ民主共和国」に戻ります。周辺のジンバブエ、アンゴラ、ナミビア、チャド、それにスーダンまで加わった軍が新体制を支援します。 1999年に休戦が成立しますが、東部では戦闘が続きます。コルタン coltanとかいう金属が東部で採れて、資金源になっていたようです。カビラは2001年、暗殺されますが、その子のカビラが政権を取り、2003年、危ういながらも平和を勝ち取っています。カビラ大統領は副大統領を4人、置いており、そのうちの2人はそれまで彼の対抗勢力だった人物です。 国名のコンゴは5世紀に栄えたバンツー系バコンゴ族のコンゴ王国名に由来する、ということで、そのコンゴは「山(国)」だそうです。 国旗の青は豊富な水資源と鉱物資源を象徴し、大小合せて7つの星がこの国を構成している7つ部族を表しているのだそうです。7つの星は州の数だったけど、今は当てはまらない(11になっている)というのもありました。多分、部族構成に合わせて州を作ったのでしょうが、そう、きちんとは分けられなかったのでしょう。 ちなみにザイール時代の国旗は左のように聖火ランナーみたいなのでした。ついでにザイールというのはザイール川から来ていますが、これはバンツー語の nzadi: 大河から来ていたのだそうです。そのザイール川はコンゴ川とも呼ばれています。 もともと、コンゴは、隣の北隣のガボンとか南隣のアンゴラなども含めた大きなコンゴだったということです。それが例の列強の分割で、ベルギーが、このキンシャサのあるコンゴ、ポルトガルがアンゴラ地方を、フランスがブラザビルのある方のコンゴを取ったということです。このへんの詳しいことは→こちらで見てください。もう一つ、→こちらも参考になります。 コンゴと祭りをキーワードにして、このページに来る人がありますが、申し訳にちょこっとした話題を提供します。南米の音楽にはマラカスがつきものですが、そのマラカスはどうもコンゴとかルワンダあたりが起源のようです。奴隷としてブラジルに拉致されていった人々が文化を広める働きもしたというわけです。京都外国語大学のサークルで紹介しているサイトにその話があります。Maracatuと綴るようです。マラカトゥが正しいのでしょう。コンゴの王様の戴冠式を祝う祭りがブラジルに残っているということです。→駐日コンゴ民主共和国大使館(外務省のページで住所がわかるだけです。)→アフリカの地図 →アフリカの呼び名の起源