バハマ(Bahamas) bs首都 ナッソー (10 万) (Nassau) 国際電話番号はアメリカと同じ 1 Bahama 諸島からなる国で英連邦。 公式名 バハマ連邦)。総面積 13,940 km2。人口 299,697人(2004)。黒人 85%. 言語: English. 宗教: キリスト教(バプテスト, アングリカン, カトリックなど)がほとんど. 通貨: dollar。 1492年、コロンブスは東端の San Salvador島に上陸して、島の周りが浅瀬になっているのを見て、 baja mar (低い海:引き潮らしいです)と言い、それがもとでこの一帯を Bahamasと呼ぶようになったということです。別説として、ルカヨ語で Grand Bahama島を Ba-ha-ma ”中くらいより大きい島”と呼んでいたからだというのがあります。 バハマの歴史を探して、このページに来た人がいたので、Wikipediaで調べてみました。 コロンブスが最初にアメリカ大陸付近に到達したのはバハマ諸島の南西部、サン・サルバドル San Salvadorという島(別名はWatling's Islandらしいです)だったという説が有力です。そこで彼はアメリカインディアンのタイノー族 Tainoとか、ルカヨ族 Lucayo(複数はルカヤン Lucayan)とか呼ばれる人々に出会って贈り物の交換をしたと伝えられています。 タイノー族は7世紀にハイチとかドミニカ共和国のあるイスパニョーラ島 Hispaniolaとキューバからバハマ諸島の南部に達して、ルカヨ族と呼ばれるようになりました。12世紀頃には全島にわたって住んでいたと考えられ、4万人くらいの人口があったとも言われています。 それが、ヒスパニョーラ島の方に奴隷として拉致されて、強制労働や戦い、疫病、混血などで、わずか20年ほどで民族としての存在しなくなりました。彼らが絶滅して後は1650年にバーミューダからイギリス人がくるまでは無人に近くなっていたようです。彼らはこの地に植民しエリューセラ開拓者 Eleuthera(ギリシャ神話の自由の神 Eleutheriaにちなんでいるようです。この神はゼウス、あるいはディオニソスの別人格でもあるようです)と呼ばれました。地図にはエリューセラ島があります。 1718年にイギリス植民地となりましたが、ほとんど人は住まず、新しく独立したアメリカが、保守的な人々、つまり独立に不満だった人々を、その奴隷とともに追放するとか、代償地としてバハマに送り込み、18世紀末には8,000人くらいが住み着いたようです。1964年にイギリスは自治を認め、1973年にはイギリス連邦には留まりますが、完全独立を果たしました。バハマの経済は観光と金融の二本柱で成り立ち、西半球の中で3番目の高所得を誇っています。 国旗の中央の黄色は、黄金のような海岸の砂、青はそれを取り巻く海、黒い三角は統一を意味しているということです。 バハマの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。 →西インド諸島の地図 →西インド諸島の大地図(フロリダの南東) ↓バハマの地図
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