トップページへ建設用語中辞典
(英仏独和)
世界の文化世界の国名・
 国旗の由来
国名から探す
和訳・日本の文化韓国地図検索ソウル地図検索釜山地図検索作者のページ
県別自治体リンク50音自治体リンク面白いサイトスパム紹介(日記)お問合わせ
このページだけが表示されたときは、こちらをクリックしてください。

ボリビア(Bolivia) .bo

首都 ラパス (65 万) (La Paz)、スクレ(6万:憲法上) (Sucre)

 国際電話番号 591

 南米中西部の国; 公式名 ボリビア共和国、国土面積 1,098,581km2。人口 8,857,870人(2005)。インディオ 55%, インディオとスペイン人など白人との混血 30%, 白人. 言語: Spanish, Quechua, Aymara (インディオは主に後 2 者を用いる). 宗教: カトリック。 通貨: boliviano。
 5,000年くらい前から人は住んでいたようです。紀元前2世紀、チチカカ湖の南にティワナク文化が栄えた13世紀には消滅しました。Aymar族の人々はティワナク文化の後裔だということですが、その言い伝えではチチカカ湖があふれ出て町を襲い、生き残りも散らばってしまったということです。ほかにも、ほぼ同時代に今のラパスの北に Moxos文化というものあったようですが、これも少し後に消滅しています。ケチュア語 Quechua語のインカ族がこの地に入ってきたのは1450年くらいで、結果、インカ帝国の一部になり、スペインに征服される1535年まで続いていました。
 スペインの植民地時代はペルーの一部として統治されていたようです。銀が採れてスペインを富ませ、ポトシ市 Potosは、かなり長い間、西半球で最大の都市だったそうです。ナポレオン戦争の時代にスペインの権威は薄れて反植民地への動きが出てきました。
 そして 1809年には独立を宣言するのですが、それから長い紛争が続き1825年に共和国として独立
しました。当時は今のように内陸国でなく海岸も持っていて、しばらくはペルーと組んでチリの侵略に抵抗して勝ちを納めていましたが、結局 1884年、チリ軍とペルーの反乱軍に敗れ海岸の領土を失って内陸国になりました。領土は半分以上を失いました。以来、60年というもの、クーデターが相次ぎ、憲法もくるくる変わるという時代が続きました。
 この時代の独立とか周辺国との紛争はいわばスペイン人の利権争いみたいなもので、大多数である原住民は奴隷的地位で劣悪な労働条件のもと、銀鉱山、後にスズ鉱山などで働かされ、政治への参加どころか教育の機会も与えられませんでした。1899年にはブラジルと戦争して敗れ、1932年にはパラグァイと戦争を初めて1938年に敗北、と相次いで領土は奪われました。
 1951年、ついに広い基盤を持つ民族主義的革命運動党(MNR)が現れ、1951年に大統領選に勝利しますが、クーデターですぐに軍部が実権を握ります。そして1952年には鉱山労働者が立ち上がって革命に成功し MNRによる政権が立ち上がり、選挙権の改革、土地制度の改革、地方の教育の推進、鉱山の国有化などを進めますが、荒療治のせいか 12年後にMNRは分裂し、1964年に軍がクーデターを起こし、成長してきた共産党と対立、内戦が始まります。キューバからゲバラがやってきたのもこのころでしょう。そのゲバラは1967年にゲリラ戦で死亡します。その後も内戦とクーデターに明け暮れて人権侵害の数々が行われます。1982年にようやく民政復帰したものの今度は激しいインフレに見舞われます。1986年に実に100万分の1というデノミを行って何とか治まりました。しかし、それから以後の資本主義と外資の導入、民営化で、石油、通信、航空、鉄道、電気に至るまで外国企業に抑えられることになりました。貧しい民衆は換金作物としてのコカの栽培にはしります。
 1990年代にガス田が発見されて光明が見えたのですが、民営化は世界銀行に支援されての上水道の民営化に及び、それが値上げするにいたって民衆の怒りは頂点に達し、戒厳令、ストライキと幾多の暴動の後、上水道の民営化は破綻し、外国企業は撤退しました。2000年のことです。次はガスです。独力で採掘できるわけでもなく、国内に消費市場があるわけでもないので、外国企業が輸出することになるわけですが、その収益の取り分が18%にしかすぎないとか、以前の戦争でチリに奪われたボリビア国民はチリ経由での輸出を嫌って不経済ではあるけどペルー経由を主張し、ペルー政府も迎合するといった具合で暴動、鎮圧といまだに決着はついていないようです。
 1825年にスペインから独立しましたが、国名はラテンアメリカの独立解放運動の指導者シモン・ボリバル Simon Bolivar の名に由来するのだそうです。彼はボリビアだけでなく、ペルー、コロンビア(当時は大コロンビアという名前で今日のベネズエラ、コロンビア、パナマ、エクアドルを含んでいました。)の独立の英雄でもあります。家系から言うと、スペインのバスク地方の小貴族の出らしいですが、ベネズエラで生まれ、彼の家族は金の採掘で財をなしたのですが、母国で得た恋妻 マリア・テレサを黄熱病で早々に失い、それが彼を解放運動の指導者にする大きなきっかけなったようです。
 国旗の赤は独立のために流された血、黄色と緑は鉱物、森林資源を表すそうです。中央の紋章は、いろいろと欲張って、特徴的な山だの木だの動物もアルパカとかいう鹿の仲間、鷲みたいな鳥、太陽などが書き込まれています。Boliviaの文字も書き込まれています。星印ですが、独立当時は5個だったそうです。アメリカと同じく州の数を表していて、10個目が加わったとかの話もあります。こちらは英語ですがくわしく書かれています。

国立民族博物館展示・ボリビアの女性用衣装
南アメリカの地図

↓ボリビアの地図