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ベルベル人(Berber)

 現在のモロッコからモーリタニアアルジェリアにかけて、古代ローマ帝国でモーリタニアと呼ばれた地域にムーア人が住んでいて、そのムーア人は8世紀にはスペインを征服しています。シェークスピアのオテロもそうしたムーア人が勢力を築いていた時代でしょう。モーリタニアはフランス語で、その祖先はベルベル人で、ムーア人Moorとはもともと7世紀にアフリカ北西部に住んでいたベルベル人をアラブ人が侵略し、イスラム教に改宗させた後、混血が進んでいったもので、北アフリカ山地に住むコーカソイドの人種だということです。そのCaucasoidというのは、「ヒトの三大集団の一つである白色人種」だということですが、wikipediaには詳しい記述がありますが、Caucasoidという言葉は一度も登場しません。
 いや、07/05/24 よく調べたら Websterの辞書にベルベル人はコーカソイドである、と出ていて、これについて議論がかなりなされています。また、Wikipediaでコーカソイドを見ると、ヨハン・フリードリッヒ・ブルメンバッハ Johann Friedrich Blumenbach (1752-1840)が作った言葉で、グルジアあたりを代表とするコーカサス山脈の南の人々を意味していたようです。何でも、ヨーロッパ人はそのあたりからセックス奴隷を狩り出していたようで、美人の産地だったのでしよう。したがって元の意味では黒人は含まれていなかったようです。しかし、彼の論は頭蓋骨の分類によるもので、後には北アフリカやアジアの人類も含まれるようになったらしいです。このため、コーカソイドは原義に忠実だと、白人に限られ、広義には黒人も含まれることになったようです。そのため、議論がややこしくなり、また、北アフリカは実質としてアラブ人の席巻するところとなったので、北アフリカの人というのはアラブ人のことを言っているのではないか、という疑義が生じます。Wikipediaでもムーア人が黒人だったか否か、コーカソイドなのか、大議論が展開されています。青い目であるかどうかも議論になるようです。
 
wikipediaによると、ベルベル人は歴史が書かれる時代には北アフリカに住んでいてエジプト時代、ギリシャ時代、ローマ時代の資料で言及されているそうで、何でもベルベル人の Meshwesh族とか Lebu族(リビア)は BC 945年にはエジプトを支配して第22王朝を樹立したんだそうです。これについては議論があってヌビア人だったという説もあるようですが。
 とにかく、ベルベル人は何世紀もの間、エジプトからモナコあたり、大西洋岸までアフリカの北に住んでいて、南にも進出していったようです。今、現在はモロッコに35%- 80%、アルジェリアに15%-33%が住んでいて、モーリタニアにはそれほど居ないらしいです。というか、ムーア人ということになっていて、ベルベル族を祖先に持つ人も自分はアラブ人と信じている人が大半らしいです。
 ベルベル人がムーア人となる過程は7世紀に始まったアラブ人の侵攻で、ベルベル人は体質が合ったのか?イスラムに改宗し、混血も進んで、ムーア人と総称されるようになったようです。彼らはいっしょになって西方に進出して、ポルトガルなどのイベリア半島まで進出しました。(Wikipediaによると、イベリア半島に侵入したのはアルモラビト王朝というサハラ西部から北のアフリカ西海岸とイベリア半島にかけて、かなりの大国を形成したベルベル人)だったようです。実際にはアラブ人によるベルベル族の差別も当然あったわけで、反乱して小国を作ったりしたようですが、あくまてもイスラムは捨てなかったようです。

 このページは、モーリタニアとかの記述をしているうちに、ムーア人とベルベル人との関係を書こうと、ほとんどタイトルだけのページを作って、後で埋めて行こうと思っていたのですが、いつしか忘れてしまっていました。ところが検索でこのページに来る人があり、あわてて、記述を増強しました。ちょっとあやふやな点があります。Wikipediaの記述を乱暴につなぎ合わせていますので。
 07/05/21 ベルベル人の語源を探ってみました。ギリシャ語のβ?ρβαροV (Brbaros)から、古代ラテン語の Barbarusとか barbariaになり、中世ラテン語では barbarinusになり、英語では Barbarianになり、それが変化して Berberになったというのが英語版の wikipediaに出ています。大もとの Brbarosは、言葉の通じない野蛮人といった意味で、ギリシャ語以外をしゃべる民族はみんなバルバロスだったようです。ペルシャ人もバルバロスだったようです。とにかく敵対するものはバルバロスだったのでしょう。これはローマ時代にも継承されて北方のゲルマン人もバーバリア人だったようです。女性の名前にバーバラ Barbaraがあって可愛い名前に思えますが、意味としては、異国の、とか変テコといった意味のようです。それがなぜ Berberになったのか、ちょっと唐突な気がします。
 もともとギリシャでは今日言うところのベルベル人にはヌミディア人とか、ローマ時代にもムーア人とか、ちゃんと名前を与えていたようです。ではベルベル berberという言葉はどこから来たのか? 英語版のwikipediaにはもう一つの説が出ています。アラブ人はベルベル人を El Barbarと呼んでいたというのです。Elは定冠詞です。その意味については書かれたものは無く、でっち上げたらしい話では、ベルベル人の先祖はキャノン Canonから始まって→マチグ Mazigh→タマラ Tamalla→バルバル Barbar→ノア Noah→ハム Hamの子孫ということになっているようです。今日のヨーロッパ人のベルベルは、このアラビア語の barbarから来たものだうといのものです。こちらの方が唐突さは少ないのかな?と思います。ではベルベル人はどう思っているのか? 彼らはアマズィーグ Amazigh(複数形はImazighen)と呼んでいるそうで、意味としては「高貴な出自の人」とか「自由人」らしいです。
ではムーア人の方はどうなのか? モーリタニアの説明ではギリシャ語の Mauroで、黒人という意味、スペイン語では Morosで、これは一般的にムスリム(イスラム教徒)を指す言葉になり、フィリピン・ミンダナオ島のモロ・イスラム解放戦線も Morosから来ている、と説明しています。間違いではありませんが、Mauroはギリシャ語からラテン語に引き継がれたわけですが、ラテン語にはもう一つ、ネグロ negroという黒を意味する言葉があり、モンテネグロは黒山を意味しています。どうも Mauroが黒というのは後付で、ムーア人に占領されたスペインでモロになり、それが英語の Moorになり、他のヨーロッパの国に広がって、色の黒いのがムーア人ということになったようです。
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