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アゼルバイジャン(Azerbaijan) .az

首都 バクー (2,045,815人) (Baku)
 国際電話番号 +994

 公式名:アゼルバイジャン共和国 。Caucasus 山脈の南側, カスピ海に臨む国。国土面積 86,600 km2。 8,411,000人(2005)。民族: アゼリー人 83%, ロシア人, アルメニア人. 言語: アゼリー語 (公用語), ロシア語, アルメニア語. 宗教: イスラム教がほとんど. 通貨: manat。

 首都のバクーはカスピ海西岸に臨む産油の中心地です。アレクサンダー大王が、テントのランプにカスピ海沿岸でとれた油を使っていたというがあるそうです。とにかく、ずいぶん古くから知られていたようです。2014/10/15 このバクーの地名の由来を探して このページと関連のページに大量のアクセスがあって いつもは 3,000人かそこらの訪問者数なのが 15日は 5,656人のアクセスがありました。
 そこで興味を持ってwikipediaに行って調べてみました。バクー綴りははどの言語のサイトに行っても文字化けがあって分かりにくいのですが、Bakuはキリル文字によるアゼルバイジャン語(アゼリー語)の旧綴り Бакуが英語の Bakuに相当することから来ているようです。その名前の由来ですが、最も一般的なものは、ペルシャ語で「風が吹きつける 英語では wind pound」という意味の "ba~d-ku~be"(読めない記号があって~に置き換えてします Bardkubeとも綴られるようです。バード・クーベ)から来ているとする説が一般的だそうです。確かに非常に風の強いところではあるようです。ほかに何があるかというと、http://www.window2baku.com/eng/9002toponimbaku.htm>イギリスの考古学者 Sir William Flinders Petrieはエジプトの BC 1000年代の使者の書に Bakhayと記されていて 意味は「the mountain of Bakhou of the rising Sun 日の昇るBakouの山」らしいですが、Bakhouの意味には触れていません。別の説としては Sara Ashurbayli教授はゾロアスター教時代 別名 拝火教の Bagaから来ていて 意味は太陽とか神とかのようです。
 アゼリー Azeriというのが要するにアゼルバイジャンのことで、トルコ系の人、言葉です。アゼルバイジャン人、アゼルバイジャン語と言ってもかまわないようです。綴りも Azerbaijaniがあります。でもって、その Azeriの語源をたどると、ペルシャ語の azar:火で、アゼルバイジャンは火の国らしいです。ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれますが、その寺院は当然、火を焚いているわけで、それに豊富にある石油が使われていて、発祥の地はアゼルバイジャンということになっているようです。古代には自噴する石油があって、その石油の泉を使って消えることのない神火が燃えていたようです。→USAID(アメリカの援助機関です。)
 イランと国境を接していますが、実はイランの北にはアゼルバイジャン地方があって、同じ言葉を使うそうです。ここで歴史を振り返って見ます。
 この地にはペルシャ人、ギリシャ人、ローマ人、アルメニア人、トルコ人、モンゴル人、ロシア人といろんな民族が足跡を残しています。アルバニア語で書かれた碑も見つかっているようです。それが BC 9世紀にマナ王朝 Mannaeが出現して BC 616年まで続き、ミディア帝国 Medianの一部になり、それも BC 549年には今のイランであるペルシャ帝国の一部になります。7世紀になるとアラブ人が征服し、イスラム教が急速に浸透します。次は 11世紀、セルジュク・トルコの支配するところになります。13世紀になると、モンゴルとかタタールの大進撃にあいます。
 最初のアゼルバイジャンの名前を持つ国ができのは 1501年、イスマイル・サファヴィ Ismail Safaviが王を名乗ってからです。彼はトルコ語を喋っていたようです。それはすぐにペルシャの一部になりますが封建制の領主みたいな格好で19世紀まで周辺国と争いながらも存続していたようです。1813年にはロシアの支配下に入ります。こうした経過の中でもともとのアゼルバイジャンは北はロシアに、南はイランのものになり、イランにアゼルバイジャン地方があるわけです。
 国名の由来については最初に書きましたが、Wikipediaによると、メディア帝国時代のアトロパテス王 Atropates に由来するという説が書かれていますが、どうしてアゼルバイジャンに変わっていくのか見当もつきません。Atropatesは古ペルシャ語では「火に守られた」を意味するのだそうです。Wikipediaには唐突にもう一つの説が書いてあってそれはポーランド語で z'arは「赤く熱い火」を意味し、ya'zyは、その「放射」を意味し、baijanは「戦士」を意味するのでポーランド語で "A zer baijan"は「炎の戦士」という意味になると書かれています。とにかく火に関係があります。
 国旗を見れば、イスラム教だということは一目瞭然ですね。三日月と星のマークは、イスラム教の登録商標? ミニ国旗図鑑によると、14世紀にオスマン朝のムラト1世がある戦場を訪れた際に、三日月と星が輝いたという伝説に基づいていて、進歩と一致団結の象徴だということです。色についてもアラブ・イスラムの基本色のようです。
 この国について一つ気になるのは、この国第一の大学は Khazar大学(自称第一、この国初めての私立大学、英語で教える大学とか、第一が20ぐらい並んでいます。)といって、かつて、ポーランドからロシアにかけての南方に広大な帝国を築いていて、10世紀に消滅し、教科書の世界史には登場することのないカザール帝国、あるいはハザール帝国が Khazarという綴りで同じだということです。カザフスタンもカザール帝国の版図に入っていたので同じように気になるところです。ロシアとの間にもいろいろ関係しています。
アゼルバイジャン歴史博物館(英語)

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↓アゼルバイジャンの地図