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オーストラリア(Australia) .au

首都 キャンベラ (22 万) (Canberra)
 国際電話番号 +66

 公式名 オーストラリア連邦, 人口 19,913,144人(2004)。面積 7,686,850 km2。通貨 オーストラリア・ドル
 オーストラリアの第二ドメインはアメリカの第一ドメインを援用して、com、edu、org、govなどのあとに、.auをつけています。com.auが会社、edu.auが大学関係というより広く教育関係といった感じです。eduで戸惑うのは、qld.edu.auの qldは学校名を表しているのではなく、Queeenslandという地名を表していて、学校名となると、smmc.qld.edu.auまでを見てはじめて Saint Margaret Mary's Collegeということになります。
 オーストラリアは今では日本の一番の友好国と言っていいくらいでしょう。この国では中国や韓国に見られるような反日デモとかは聞いたことがありません。ですが、かつての反日感情はただならぬものがあったのです。これは日本軍の行状が悪かったというのも一つの理由ですが、根底に人種差別感情があったようです。かつてオーストラリアは白豪主義とよばれる白人至上主義があり、日本人は人間と猿の雑種とまで言う人もいたようです。
 その猿みたいに小さいのが太平洋戦争の初期、マレー半島、シンガポール、ジャワ島などでは、よく訓練された装備もよい日本軍に敗退し、日本兵は超人戦士みたいな伝説が作られたりしたのですが、それが、この野蛮人に対する恐怖と憎悪をさらにかき立てたようです。次第に日本軍の補給が絶え、人員、装備とも質がおちた後半には、今度はオーストラリア軍にも日本軍を非難できない行動があったようです。捕虜になることを恥とし、死ぬまで戦う戦う日本兵士に対して人道的な扱いは難しかったということもあったようです。このへんのところは豪日研究プロジェクトにマーク・ジョンストン氏による「しかし、彼らも同じ人間だ。」の訳文にくわしくのべられています。
 それが親日になっていくのには、英連邦の盟主であるイギリスが1973年、欧州連合に加盟し、もはや連邦国の繋がりの意味が薄れ、また経済成長とともに最初は白人のみの移民を受け入れていたのが、次第にアジア方面からの労働力も必要とするようになり、1973年に人種差別禁止法」が制定され、今では、カナダと同じく各民族の固有文化を守るマルチ・カルチュラリズム(多文化主義)が国策になったこと。奇跡の経済成長を成し遂げ、自信を持って卑屈にもならず、人を思いやる余裕のできた日本人に接するようになったことがあるでしょう。
 マルチ・カルチュラリズムと言いましたが、シドニー・オリンピックで聖火をともしたのはアボリジニのキャシー・フリーマンさんでしたが、アボリジニの人の文化は白豪主義に追いつめられて、痕跡もないというくらいになっているようです。内陸部で一部は残っているようですが、言語とかも「既に大半のピースが失われたジグソーパズル」みたいなことになっているようです。このアボリジニですが、私はオーストラリアの固有民族かと思っていましたが、アボリジニはアフリカにもアメリカ大陸にも、いやどこの大陸にもいる原住民という意味です。
 いまではすっかり同じみになったOGビーフ・オージービーフ、この OGは何なのでしょう。調べてみると、オーストラリアの、とかオーストラリア人は英語で Australianですが、アメリカ人をヤンキー(Yonkee)というような呼び方では Aussieとなります。これの発音はオーシーと呼んでも間違いではないのですが、オーストラリア人はオジーみたいな発音をするのだそうで、これはアメリカ人もそうらしく、アン・マキャフリーのSF小説でもオーストラリア人をヤンキーとならんでOGと呼ぶ場面が出てきます。
 オーストラリア人の対日感情について書きましたが、日本人の対豪感情はどうだつたのでしょうか? 戦前、戦中に私たちが聞かされた話は、オーストラリアはイギリスの罪人を棄民として送り込んだのが国になったものだというものでした。これはあながち嘘とも言えない面があり、18世紀後半、アメリカの独立によって広大で豊かな植民地を失ったイギリスは、不景気にも見舞われたのでしょう、その結果か?罪人があふれかえる状態になっていました。そこで目をつけたのがオーストラリアです。
 オーストラリアは1606年、オランダ人のウィレム・ヤンツ(Willem Janszoon、縮めて Willem Yanzとか Willem Janszとか書かれます)でしたが、オランダは New Hollandと命名しましたが、植民はしませんでした。1770年にジェームズ・クックが来て、New South Walesと名付け、領有を主張しました。これに目をつけたのです。
 植民するといっても、南アメリカのようにインカ帝国の財宝とかがあるわけでもなく、一般の人は行きたがらなかったのでしょう、罪人を送り込むことにしたのです。1787年、11隻からなる船隊が旅立ち、クックが上陸したボタニー湾に 736人の受刑者と、その妻子 211人を送り込みました。1788年1月26日のことです。この日は建国記念日になっています。罪人と言っても、あわよくば植民を成功させようというのですから、凶悪犯みたいなのは居なかったでしょう。
 国名がオーストリアと紛らわしいのですが、オーストラリアは「南の」というラテン語です。オーストリアの方はOsterreich、つまり、「東の国」というドイツ語です。どちらも方角を意味している点も似ているわけです。最近、オーストリア政府というか、オーストリアの日本大使館では紛らわしいのに業を煮やしてオーストリアではなく、オーストリーと呼んでくれ、と言っているようですが、無駄でしょう。別に英語の表記を Austriaから Austryに改めたわけではなく、日本だけのことです。日本には昔、オーストリーと呼んだ時代がありましたから。しかし、間違えるのは日本人だけではなく、ヨーロッパでも笑い話の種になるようです。オーストリア大使館には、オーストラリア大使館を訪ねてくる人が多く、近いので地図が掲示されているようです。古代ギリシャ・ローマ人、それに中世ヨーロッパ人は、漠然とインドの南に未知の大陸 terra(大陸) australis(南) incognita(未知)があると考えていたということで、それが国名のヒントになっています。この説明を見たサイトはリンク切れになっていますが間違いない、と思います。
 国旗は1953年に制定された比較的、新しいものです。公募で決めたもので、商船が用いていたものがベースのようです。左上のユニオンジャックは言わずと知れたイギリス連邦であることを示しています。左側の大きな星と左側の五つ星は意味が違います。右側は南十字星、左側は、7条の光を放っていて、6つの州と特別地域になっているタスマニア島を意味しています。

国立民族博物館・研究公演・─ オーストラリアのアボリジナル楽器に託す夢 ─
オーストラリア大使館

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