アルメニア(Armenia) .am首都 イェレヴァン (120 万) (Yerevan) Caucasus 山脈の南側にある国; 公式名 アルメニア共和国, 350 万 1936-91 年の間はソ連邦の構成共和国でした。国旗はそれ以降のものです。アルメニア人がほとんど。 言語: Armenian. 宗教: アルメニア正教。 通貨: ruble。 アルメニアの国名の由来はかなり、悩ましいものがあります。「国名の意味」というサイトに、「自称はハイアスタント。アーリア系アルメニア人の名に由来。元々アルメニア人はハイ族と言い、伝説では前19世紀頃カスピ海南沿岸に住んでいた。この中から英雄アルメネケArmenakeが一族を率いて独立し、アルメニア族を名乗ったと言われている。」とあるのですが、これの傍証がとれないのです、そればかりか、『民族の世界地図』批判というサイトがあって、文春新書の21世紀研究会編『民族の世界地図』の誤りが指摘されているのですが、アルメニアの記述はやり玉に挙がっているのです。どうやら、「国名の意味」のサイトは『民族の世界地図』の情報が大半らしいのです。自称はハイアスタントというのは、アメリカのアルメニア大使館まで行って、 外国の記事として、Hayがアルメニア人のことで、Hayastanが現在のアルメニアで、古くは Hayassaとも呼ばれていた、とあるので、正しそうです。 アルメネケの方がどうにも出てこなくて、困ります。Alme までで検索すると、どうやら、Almeneが出てきて、これが実はヘラクレスの母のアルクメネ、Alcmeneと同じらしいのです。誤記と指摘されているサイトもありましたが、英語のサイトでは、併記されています。それ以上、アルメニアの由来に近づくことはできません。ついでに英語でハーキュリーというのはヘラクレスと同じだということがわかりました。何だかヘラクレスの方が強そうですけど。アメリカのアルメニア大使館には、アルメニアの国名の由来については触れていません。非常に詳しいアルメニアの歴史のサイトもありましたが、これも国名の由来には触れていません。アルメニアがアルメニアであることは自明というくらい古い歴史をもった国らしいです。ネットにすべての情報があると限った話ではないので、『民族の世界地図』は、必ずしも誤りではなさそうです。 06/Mar/28 以前は Wikipediaを知らなかったので、あまり参考にしませんでしたが、国名の由来が詳しくでています。もともと、この国はハイク Hayq, Haikだったのが後にハヤスタン Hayastan つまり、ハイクとペルシャ語のスタン:土地とを組み合わせたものになったということです。ノアの箱船が着いたのがこの国のアララト山ということになっていますが、伝説によれば Haikというのは人物でノアの曾曾孫にあたり(ノアの息子がジャペス Japheth、その息子がゴメル Gomer、その息子がトガルマー Togarmahで、その息子というわけです。)アララト山のふもとに住み着いてバベルの塔の建設にも参加したとか、それから戻ってきてバビロニアのペル王 Belあるいはニムロッド Nimrodと戦って勝ったということです。BC 2492年のことだそうです。そこまで分かるのでしょうか? とにかくこの人物がアルメニア人の祖先とされています。そのハイクがどうしてアルメニアと呼ばれるようになったのか? どうやら、この地で最強の部族が Armensという名前だったということで、これまた Haikの孫のまたその孫の Armenakとか Aramから来ているらしいです。だいたいのところ、最初の記述は正しいようです。ほかの説として Minniの山という意味の Har-Mnniから来ているというのもあるようですが、理屈が分かりません。アルメニアの名前が見える最古の文書は BC 521年、イランのベヒストゥン碑文だそうです。 国旗の赤は独立の闘争で流された尊い血の犠牲を、青は豊かな国土と大空を、オレンジは国民の団結と勇気を象徴するということです。赤の意味づけはどうも血なまぐさいのが多いようです。 →ヨーロッパの地図 →アジアの地図 ↓アルメニアの地図
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