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アンドラ(Andorra) .ad

首都 アンドラ・ラベイリァ (2 万)
 (Andórra la Vl・la)
 国際電話番号 +376

 Pyrenees 山脈南面の, フランスとスペインにはさまれたピレネー山脈の中にある小国です。 フランスの元首およびスペインの小都市、ウルヘル (Urgel) の司教の共同主権下にある公国 (co-principality) でしたが, 1993 年国民主権の体制で独立しました。ですが、面白いのは共同主権の名残を残していて co-princeという、元首代理ともいうべき制度があり、これが二人いて、一人は2005年現在ではフランスのシラク大統領、もう一人はウルヘル司教になっています。別に政治的に役目をするわけではないようです。
国土面積 468 km2。 69,150人(2003) 大部分がスペイン系のカタロニア人。 公用語はカタロニア語 Catalanですが、スペイン語、フランス語の両方です。宗教 カソリック。通貨: peseta、今はユーロのようです。
06/Feb/25 人種構成、宗教、言語、通貨などの記述が間違っていました。訂正しました。

 この国は税金天国で、観光で潤っている金持ちの国です。何でもその昔、ムーア人が北上してくるのをこの地の人々がくい止めて、当時のフランク王国のシャルマーニュ大帝(フランクは現在のフランスとドイツの元になった国で、ドイツではカール大帝と呼ばれ、双方の国の歴史の始祖と言っていい重要人物です)が領主に特権を与えて、最終的にはウルヘルの司教が領主みたいな格好になったようで、それが今も続いているわけです。11世紀にウルヘルの司教とフランスとの間で国境争いが始まったようですかが、1278年にウルヘルの司教とフランスの国境の領主 フォワ伯爵 Foisとの共管になり、このフォワ伯爵はここの統治にあまり熱心でなく、ナバレの領主に元首の号を譲りました。ナバレ Navarreは今はスペインの領土ですが、そのころはフランス領で、そのナバレの王 アンリ Henryがフランスの国王 アンリ4世になって、1607年にフランスの元首のウルヘルの司教の共同主権ということになったものです。
 その後もフランスが併合したり、いろいろありますが、それほど魅力のある領土でもなく、スペインとフランスの間にあって特に争いもなく、今日まで体制は保たれていました。今では観光が盛んになって裕福になり、政治のシステムも近代化されて1993年には国連に加盟しています。
 国名がなぜ Andorraかは分からないのですが、843年にはフランス王 Charles the Bald (baldは禿で禿頭王とかいう意味になるようです。ほかにも Charles the fat 太っちょチャールズという渾名もあるようです。)からSunifred伯爵に授与した文書の中に言及されているそうで、古い名前です。いや、Wikipediaによると、多分ナバレ語の「低木におおわれた地」という意味の "andurrial"に由来するのだろうということです。
 国旗は歴史を反映して、フランスとスペインの顔を立てて、地色はフランス国旗を基本に真ん中はスペインの地色の黄色と王冠に似たデザインになっています。紋章だそうです。中に文字が書いてあります。Virtus Unita Fortiorと書いてあって「力を合わせれば、強くなる」という意味らしいです。
ヨーロッパの地図

↓アンドラの地図