| 信者のいない新興宗教025号 2011年12月のつぶやき 2011/12/29 民主党 難破の予感?ネズミどもが脱出しはじめた? この動きに小沢さんの影はあるのか?ないのか? それにしても政争に明け暮れた年だった ようやく野田さん一つだけ仕事した 増税だ 歓迎されないが 必要な仕事だった よいニュースは なでしこジャパンだけ?真央ちゃんが勝ったのもよかった? 2011/12/25 八ツ場ダム あれまで進んだら続行しか無かった 前原さんが孤軍奮闘したようだが元はと言えば現実を見ずに発言したのが原因 この人の悪いクセだ 直らないのだろう 言うだけ殿下と言われるのも もっとも 要するに目立ちたがり屋なのかな?さらなる消費税が必要とか そういうことを言う立場なのか考えてないようだ つまるところは出る釘 前原さんはマニフェストにコダワったのだろうが 国民はコダワってなどいない 国民は自民党を罰したかっただけでマニフェストを信用したわけではない 思った以上に民主党の人材が不足していたというだけだ 人材は実際に政務に携わることで育つだろう 今後に期待することにしよう 前原さん 公務員の分限免職などと言い出した これは企業の解雇に相当するもので経営難になれば解雇もヤムを得ない 国が経営難だから公務員も解雇できるという論理なのかな? 分限免職は本人に非がなければ発動できない もし やれば訴訟の嵐になりそう 経営難になれば経営陣は責任をとるのが原則だ そうはならない例が多いけど 国の経営者は長い間 自民党だったが すでに責任をとらされた と解釈するのかな? 「公務員法に免職できる」と書いてあるからできるはず というのが前原さん この人は書いてあることの字面だけ見て軽率にモノを言う 結局は 言うだけ殿下で終わりそう 一度くらい不言実行してみたら? 2011/12/20 新聞もテレビも金正日死去で盛り上がってる 今朝の朝日新聞は 6面まで金正日 一色だ ネットで見ると祝金正日死亡なんてのも散見される 祝うのは早トチリというものだろう どう転ぶか予想はつかないのだから 野次馬とすれば長男次男といるんだから お家争いでも始まれば面白いが そうすると誰かが暴発して近隣の国に迷惑を及ぼしかねない それでなくても韓国は脱北者が増えているようだし そういう意味では中国も暴発とかのない権力移行を望んでいるだろうが 問題は金王朝批判派が 無視できない勢力になってきたときだ そんな派が存在するかどうか知らないが 育っていることは想像できる 金正日自身も人民が私を嫌っているのは知っていた という 石を投げられる夢を見ることがそうだから↓ http://japanese.joins.com/article/560/138560.html ま 憶測してもはじまらない 情報が少なすぎる 金正恩さんの年令も分からないのだから 穏やかに金王朝が継承されるのを望むか 波瀾を望むか悩ましいところだ 今は鎖国していても外の世界の情報は入ってきているだろう 一度はくぐり抜けなければならない修羅場があるのだろう 中国は 10年を要した文化大革命という修羅場を経て 現在の現実的な中国になった それでも まだ一修羅場ありそうな予感がするが 2011/12/08 太平洋戦争=大東亜戦争 開戦の日から70年 真珠湾攻撃は12月7日だった なぜ12月7日が開戦の日ではないのか? 大したことではないが 私が生まれた1936年以来 ずっと戦争中だったのだから 開戦の日 小学校 いや国民学校就学前の幼い目にも人々の興奮が見えた しかし恐れなどはなく 来るものが来た という感じだった 開戦前から臨戦ムードは高まっていたのだと思う 負けるなどとは庶民は誰も感じていなかっただろう 不敗の神国 日本をほとんどの人が信じてた?教育の力の恐ろしさだ アメリカとの彼我の差を知る資料がないわけではなかった 我が家にも発明発見伝みたいな子供向けの本があって 電話 自動車のの普及率の比較が囲み記事みたいにして出ていた 電話はアメリカでは ほとんど各戸に 1台 日本では数十戸に 1台 自動車はアメリカでは二戸に 1台 日本では数百戸に 1台という感じだった これを見ても すごい贅沢な国だと思ったが こんな国と戦争したら負ける とまでは思わなかった そしてエジソンに憧れ ライト兄弟に憧れた 戦時中は兄姉は学徒動員で働いていた 姉は竹篭を編んで 紙を何重にも重ね貼りしてラッカーを塗って気密にしていた 飛行機の燃料を入れる補助タンクだ 使い終わったら捨てて行く 工場には電車で行くが ときどきアメリカの戦闘機が機銃掃射する ときに電車は運転手の判断で止まって乗客ははタンボに伏せて隠れる お陰様で姉は生き延びた 工場も軍需工場だが竹篭を作っているような所は そうは見えなかったろう アメリカの爆撃機 B29が不時着することがあって お祭り騒ぎで その機体を見物 見学に行っていた 姉も学校から見学に行った B29の補助タンクはアルミ製のスベスベピカピカだった 姉には誰にも言わなかったが 戦後になって これで戦争に勝てるのか?と思った と語った 一番上の姉は駅員として貨車の入れ替え作業をやっていた 機関車が突き放した貨車に飛び乗ってブレーキを操作して所定の位置に止める 転徹という線路を切り替える作業 これは力の要る作業だがこなしていた 今の女子高2年生 くらいだった まともに働ける男は戦争にとられてしまっていた 贅沢は敵だ 欲しがりません 勝つまでは という時代だった 贅沢は素敵だけど 欲しがっても手に入らない時代だったけど 町の文房具店に消しゴムが入ったというので買いに行った 固いゴムで紙が破けそうになるだけで役には立たなかった 鉛筆の芯には石みたいなのが混じっていてガリガリと紙を引っ掻いて 質の悪い紙を使ったノートは破けた もはや敗色濃厚だった B29が昼間も臆面もなく飛ぶ 高射砲が撃つのは聞こえるが届かない 弾幕ははるか下の方だ 高射砲弾の破片が落ちてきて危ないくらいのものだ 一度 近くに落ちてきた 5 cm角くらいの大きさで マトモに当たれば死ぬ 日本の戦闘機が迎撃することは無かった 居なかったのだ 練習機は B29来ない間に 二枚翼の赤トンボが飛んでいた 私が親戚の家に行っている間に姉たちは 練習機が B29に体当たりするのを目撃した 木と竹と布でできたような練習機は何の損害も与えなかった 操縦士は多分 落下傘も無く 落ちて行くのが見えたそうだ 戦闘機がまったく居なかったわけではない 終戦の詔勅の翌日 ゼロ戦がパイロットの顔が見えるくらい低空で飛ぶのを見かけた パイロットは手を振っていた 最後の名残の飛行をしたのだろう 町にゆかりの人? 平和な町に住んでいたから爆撃されることは無かった 福岡大空襲の際は頭上を飛びすぎるB29の大編隊の数を数えていた 300機くらい居た 「かくて神風は吹く」という映画が作られた 冒頭は蒙古の使者の首をつぎつぎと刎ねる凄惨な場面だった 迫真力のある画面だった 今 検索して調べたら あの円谷英二の特撮だった 敗色濃い中で もはや神風に頼るほかなくなっていた 学校から見に行った 戦中に見た唯一の映画だった とにかく胸のすく思いをして帰った 当時の国民の総意の現れだったのだろう 活動写真=映画は不良が見るものとされていたが 戦中には戦意高揚の映画ばかりで不良が見たがるようなのは無かった 鬼畜米英という言葉は開戦後 間もなく使われはじめたように思う ネットで見ると米軍が無差別爆撃を始めてからのように言うものがあるが もっと以前から使われていたのだと思う よく耳にするようになったのは開戦後だが↓ http://q.hatena.ne.jp/1045307360 とにかく開戦は12月8日と決められていたようだ 「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号からも知れる 日本時間では真珠湾攻撃も12月8日だったはずだ 国民には12月8日午前11時40分 天皇の「大詔」によって開戦が知らされた 実は真珠湾攻撃は12月7日というのはアメリカ時間でのことだ そしてアメリカが日本に対して宣戦布告したのは12月8日だった↓ http://www.geocities.jp/torikai007/pearlharbor/1941.html アメリカには真珠湾攻撃が宣戦布告無しの不法なものであることが重要だった? アメリカ国民の日本に対する敵意を掻き立てるために 実は宣戦布告は攻撃前に手渡すはずが居留守を使われて渡せなかったという話がある 事実かも知れないが大したことではない 日本側は開戦を決定して11月26日には艦隊は出航していたのだから 宣戦布告をすると同時に攻撃開始するという段取りで実質は奇襲の予定だった 圧倒的に強い相手に戦争して勝とうとするからには奇襲するほかない アメリカが宣戦布告を戦争開始の礼儀などと考えているわけでもなかろう ベトナム戦争だってイラク侵攻だって宣戦布告無しで行ってきたのだから 2011/12/01 田中・沖縄防衛局長 正確には何と言ったの? 大新聞が性的暴行に結びつけた発言のように報じている しかし 又聞きから拡大した解釈のようだ↓ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111130-00000004-jct-soci 拡大解釈されてもやむを得ない文脈でもあったようだ もののタトエに女性への性暴力を 挙げるのは 人の品格を表してもいる この人の そういうことに対する罪悪感の乏しさが現れている 男という動物は いったいに そんなものだろうが それでも必死に隠し通すのが紳士?だろう 私は鼻の下が長い紳士? 辺野古移転に関する環境評価書の年内提出はするのかしないのか? 犯すは提出しない という意味?文脈がわからないから 想像するほかないが 仮にそうだとすると 防衛省として提出しない ことを意思表示している? これは沖縄防衛局長という一役人が決定できることではない 役人というのは やれ!と言われれば ガムシャラにやるほかない 問われれば 鋭意努力しています とか可及的速やかにとか答えればすむ 少なくとも防衛省 とりわれ沖縄防衛局は評価書の作成の任にあたるはずだろう 政府として評価書の作成を期限を切って指示していなかった? 田中・沖縄防衛局長に対する同情の必要はないが この点だけは同情できる? 仮に政府としての指示がなくとも その任にあたる機関の長は行動すべきだろう とにかく野田さんは行政府の長として謝るほか無かった 何も ここで慎重居士を決め込む必要は無かった 即刻謝った方が印象が良い 慎重居士の方が早見えのするオッチョコチョイよりはイイと思うけど 補佐する人に状況がスグに読める人が居てアドバイスするのがよい 藤村官房長官は そういう意味での補佐はできないようだ やはり人材不足か 慎重に選んだ結果が一川防衛大臣では 身内の前原さんからも批判が飛ぶようでは辞めるしかなかろう 前原さんは チョイチョイ 出る釘みたいなことをやる 打たれるべきところを尻ぬぐいを人に任せて知らぬ顔 それで傷にならないのは強力な擁護者がいるからだろうが あまり同士としては組みたくない人物のようだが 野田さんの慎重居士とは対極にある? だいたい佐藤正久参議院議員の「詳細を知っているか」という質問のアイマイさ 字義通りに「詳細を知っている」人は私を含めて皆無だと思うが 詳細なら↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%B1%B3%E5%85%B5%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6 マスコミでは みんなが「詳細を知っている」ようだ いやフリをしている 私は「詳細は知らない」は ごく当たり前の答えだと思う 質問する方も悪い 知っていなければならないのは あの事件が在日米軍の地位協定の不平等さを白日のもとにさらしたことだ あの事件が無ければ これほどまでに沖縄の基地反対感情は高まらなかった? マスコミは質問者が何を知っているのかを取材するべきだった 一川さんの弁護をしてみよう 正直にものを言っただけだろう 防衛大臣は戦争オタクである必要はなかろう 今は素人か裁判に参加する時代だ ブータン国王が一川さん一人が居なくて軽視されたとか思うわけも無かろう それほど重要人物でも無さそうだから それなりの人望があって議員になり大臣にもなったのだろう 農林省の採用試験での面接の席で「農家の苦しみが分かる幹部はいるのか」と発言 骨のある人物でもあるようだ どこぞのボッチャンや貴公子とは違いそう 野田さんが頑張るのもいいだろう 解任するにしてもタイミングがあるだろう とにかくヤタラと問責だ 辞任だ 解散総選挙だと 一つ戻る 二つ戻る 振り出しに戻る では困る 長らく発行しないとマリンメールだけが届いて 嫌気がさすということもあるのでしょう。 1通は戻ってきました。
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