理学療法士 西沢 滋和 障害のある人が生活していく上での障壁全般を一般的にバリアと呼んでいるようですが、主にハード面に限局した表現として用いられる傾向があるようです。 しかし私は突き詰めていくとハード面のバリアフリーの大切さ・重要性を受け止めて具体的に反映させる行動を起こすのは結局心の問題ではないのかと思っています。 では心にはどのようなバリアが存在するのでしょうか。私は大別して2つの心がバリアになっているような気がします。 その1つ目とは近視状態になっている心の様相を指すのではないかと考えます。目先の事ばかりに右往左往して、大局的にあるいは遠目で物事をとらえる事が出来ず大騒ぎしてしまう心が近視状態の心と考えます。 2つ目の心とは、大局や遠目ばかりでしか物事を見られず足元を踏み固める事の出来ない遠視状態の心が存在しているのではないかと思います。 どちらの心もよく見受けられる心の様相で私達の日常を振り回している忌まわしい根源がここに存在しているのではないのでしょうか。 実はバリアフリーの十分ではない日本の現状とは日本人の持っている心の様相が先に述べた2つに偏って存在している事が原因のように思われるのです。 足元も見られない、かといって大局感も将来も見据えられない困った状況にあるのではないのでしょうか。 たとえば確実に迫っている高齢社会が目前にあるにも拘らず住まいや都市等のバリアフリーがこんなにもお粗末で良いのでしょうか。 それなのに高齢者の活力を生かした社会構築に向けて等と具体性に乏しく御題目ばかりが先行している現状に危機感さえ覚えるのです。 将来確実に訪れる高齢社会に備えて今何をすべきか、目先の景気対策・構造改革ばかりに目を奪われてはないのでしょうか。 バリアフリー環境なくして障害者や高齢者がどのようにしたら外出できるのでしょうか。どのように会社に行けばよいのでしょうか。 バリアをこんな視点から鑑みる事の大切さを昨今ひしひしと感じている筆者ですが経済効率ばかりを優先してしまって、心の文明を蔑ろにして来た日本人への付けはとても大きな代償を払う状況に到達してしまったように思います。 その代償とは言わずもがなで例を上げたら枚挙に暇が無く、ここでは敢えて触れませんが明日は我が身にその代償が降り注いでくる可能性がとても高い世相を呈してきたのではないのでしょうか。 このように考えますとハード面のバリアを取り除く事よりもソフト面のバリアを除去する事を先ず試みないと将来の高齢社会を乗り切る後世の人々に対して大変大きな付けを残してしまうような気がしています。 ハード面のバリアを取り除くためにはソフト面のバリアの方を優先する事がきっと目的とするハード面のバリアを取り除く早道になる可能性が高くなるかもしれないと思います。 筑紫哲也の他事総論を先日拝見していたら「劣化」というテーマでの話で、製造業の現場に存在する問題点を指摘していましたがその内容はリストラによるリスク管理能力の低下であると指摘していましたが、根管は全てお金の尺度が優先している現在の人間社会が原因しているように思えました。 この事に早急に目を向ける事の大切さを感じながら筆をおきたいと思います。 |