理学療法士 西沢 滋和 私は過去、日本以外にバリアフリーが進んでいるのではないかと思われる国に訪問したのはカナダだけしかありません。後の知識は全て座学です。また1999年8月1日に脳卒中に倒れ、その後社会復帰を大勢の皆様のお陰様で成し遂げさせて頂けた経験を持つ、3級の障害者手帳を戴く身の46歳2児の父親です。 このような過去を抱える男ですが表題につきまして自分なりの考えをまとめさせて頂きたいと思います。 健常者の中には日本においてはバリアフリーがこんなにも進んでいるとの認識を持たれている方がおられるようですが、とんでもない話で日本では物心両面でバリアフリー環境の整備は先進諸国の中ではとても遅延しているのではないのかと思っています。 では一体、それは何故なのでしょうか?私見を下記に述べさせて頂きます。 原因1・日本人の価値観の中に、心身が健常でお金や物を生産できる状態にあり、ある程度の目的達成水準に到達していないとその人の存在価値を認めにくいのではないのかと思っています。どんな状態にある人からでも、価値を見出そうあるいは学ぼうと思えば必ず人間はどんな人でも価値ある存在になり得るし、あるいは学べるものなのだと思っています。 したがって、一方的な価値観で相反する人の存在を否定傾向に捉えようとしてはならないのではないのかと思っています。 原因2・都市開発や建築業者などのバリアフリーに対する関心や勉強が不足しているのではないのかと思っています。こんな工事がバリアフリーだと考えているのかと首を傾けてしまうようなバリアフリー工事を時々目にする事もあるし、手すりに全体重をかけると手すりが壁から抜け落ちてしまう、うそのような本当の話も存在してしまうのではないかと思っています。 原因3・バリアフリーとは決して物質面ではなく心のバリアーが存在する事を知る必要があるのではないのかと思っています。ある鉄道会社の障害者用トイレの扉には、ご使用の際には係員にご連絡下さいとの表示がありましたが、尿意や便意が急に襲ってきた時健常者の皆さんは我慢しきれずにどのような行動をとるでしょう?トイレに駆け込んで用をたそうとするのではないのでしょうか。 障害者も同様なのです。その時扉に掃除中と表示があったら健常者の皆さんは困惑されるのではないのでしょうか?障害者も動揺で皆さんと同じ思いをするのではないのでしょうか。ましてや障害者用トイレの設置には限りがありますし、障害を持たれている方には健常者の予想もつかない排泄障害を持たれている方もおられるかもしれませんよ。 こんな現実を垣間見ました所、バリアフリー環境がそこに存在していてもそれ自体をも殺してしまうのが人の心ではないのかと思っています。 原因4・聞くところによりますと北欧のどの国か定かではありませんが、公共機関のあちらこちらに、障害者がいざ困った事が起因したらその内容に応じて自由にボランティアを呼びつけられる呼び出しパンフレットが設置してあるらしいのですが、この1つの現実を突きつけられただけでも、社会全体が少数存在の人のためにもどうあるべきかを考慮している背景が存在しているのではないかと思われます。このような考え方が基本にあるのでバリアフリー整備の行き届いた町の景観を獲得しているのではないのでしょうか。 原因5・障害者のバリアフリー整備促進の声を封殺してしまう代替施策の充実が日本には存在しているのではないかと思っています。私の社会復帰プロセスの経験から鑑みますと、あらゆる生活場面での不行き届きなバリアフリーの現状に突き当たります。 どんな障害者でもきっと感じる事がこの現状だと思うので、なぜ改善の声がもっと大きくならないのだろうか私は不思議で仕方がありません。人は1人で自由に行動している事がどんなに素晴らしい事か理解できますし、その状態をきっと取り戻そうと優先的にもがき苦しむはずだと私は思います。きっとそこには何かが存在しているはずで原因の5つ目の内容に加えた次第です。 他にも様々な要因が存在しているのでしょうが、以上の5点が最も重要な要因となって日本のバリアフリー整備が遅延しているのではないのかと私は思っていますし、超高齢社会を目前にして改善しなくてはならない日本の現実がここに存在しているのではないのかと考えています。 しかし前述の5つ改善要因を実行に移行できるかは、結局のところそこに住み着いている住民の意識がバリアフリーの必要性を痛感しない事には物事が運んでいかないのではないのでしょうか。 私は警鐘を鳴らして終わりとさせて頂きます。 |