ここに紹介するのは、健常者から、ある日、身体障害者になられた方のメールです。45歳働き盛りの2児の父親の方で、バリアフリーへの訴えを、力もない私に訴えられても、なすすべもありませんが、何人かの力のある関係者の目にとまれば、と、原文のまま、掲載します。ふだんは、バリアフリー、バリアフリーといっても、障害者の方にだって、健常者への思いやりがあっていいのでは、と考えたりしていますが、みんなが明日は我が身であるということも事実です。そのときになって、どう考えるか一つの参考になるでしょう。

絶滅危惧種に人類は含まれてしまう!?
(絶滅危惧種には早急にバリアフリー対策を)

理学療法士 西沢 滋和

理学療法士 西沢 滋和

 地球上に存在している動植物に対して、長期に種が保存できるように様々な対策を試みているのが、今日この頃ではないのかと思っています。
 様々な対策を施すタイミングが少し遅延したのではないのかと考えますが、その事は別にして私はその対策自体が、その動植物に対しては「バリアフリー対策」を施行しているように思えてなりません。
 その動植物が長期にわたり生き生きとして存在していけるためには、人類は「保護」という政策を遅まきながら展開していますが、その内容は人類が自らばら蒔いてしまったその動植物の生命の危機をもたらすであろうバリアから解放している、まさに「バリアフリー」を実践しているように見えてなりません。絶滅の危惧がある動植物の幾つかは、人類の創造してしまった様々なバリアから解放される事により、絶滅の危惧を免れるようにしているのではないのかと思っています。
 つまりバリア自体は様々な生き物に対しては生命の危機を何れもたらしてしまう、とても厄介な代物といえるのではないのかと考えます。
 このように「バリア」の存在を受け止めてみますと、人類にとりましても生活に負担をもたらす「バリア」を今から真剣に取り除いておかなくては、人類が絶滅危惧種に含まれてしまうような自体に陥ってしまうのではないかと思えて仕方ありません。
 「バリアフリー」をこのような観点で表現してみたら、とても放置してはおけない重要な事柄が人類に向けて発せられているのではないのかと考えます。
 では一体、人類にとってどんな「バリア」がこの世には存在しているのでしょうか。私なりに以下にまとめてみました。
1、自らだけが正しいと思い込んで、自分以外の存在を受け入れる事が素直に出来ない心のバリア
2、どんな人でも1人で自由に外出できないアジャストされていない環境のバリア
3、物やお金の所有量の多さだけが、あるいは世の中の価値が唯一無位でそれを信じる
事が人の幸せだと思っている心のバリア
4、2の事柄が存在し続けている事を認知できない心のバリア
 他にも細かい事柄を思いつくまま列挙したならば、枚挙に暇がありませんので上記の4点に留めますが、ご覧の通り4点のうち3点は心の問題が占めている事にお気付きになられた事と思います。
 つまり、如何に種の絶滅の原因となっている事柄が心のバリアに存在しているかお判り戴けたのではないかと考えるのです。
 そして私達人類は、以上の4点を克服できないと、おそらく将来に至っては自らが自らを滅ばせてしまう愚かな末路をたどってしまうのではないのかと思うのです。
 ここまでお話を進めていきますと、如何に「バリアフリー」が大切で、その中でも心のバリアフリーが重要であるかお判り戴けたのではないかと考えます。
 「バリアフリー」といえば、その多くが環境面に限局した論点で述べられがちですが、脳卒中後遺症で障害者手帳を頂戴する身となった筆者が考えるに、確かに環境面のバリアフリーの大切さは痛感しましたが、それを実現する人々の統一した心が存在しなければ、おそらく環境面のバリアフリーの充実も実現しないのではないかと思うのです。
 だから「バリアフリー」とは決して環境面の目に見える現象だけを捉えて述べていくのではなく、根管に存在しているものはもしかすると一人ひとりの心に内在しているものが大きく左右するのではないか気がしている昨今です。