ここに紹介するのは、健常者から、ある日、身体障害者になられた方のメールです。45歳働き盛りの2児の父親の方で、バリアフリーへの訴えを、力もない私に訴えられても、なすすべもありませんが、何人かの力のある関係者の目にとまれば、と、原文のまま、掲載します。ふだんは、バリアフリー、バリアフリーといっても、障害者の方にだって、健常者への思いやりがあっていいのでは、と考えたりしていますが、みんなが明日は我が身であるということも事実です。そのときになって、どう考えるか一つの参考になるでしょう。

自殺の増加と心のバリアフリー

理学療法士 西沢 滋和


 自殺者の増加が今日の不況が拍車となって著しくなっているようです。物やお金の所有に関する事がその多くの原因であるようですが、とうとう人の心は物やお金に支配されるようになってしまったのか?!命より物やお金の方が大切になってしまったのかと嘆かざるを得ない潮流が蔓延している様な昨今ではないのでしょうか。
 与えられた寿命を自ら断ち何の解決になるのでしょうか。自殺が何故悪い事かいけない事かお分かりでしょうか。下記に列挙してみましょう。
1、人生のとても悪い時を死んで逃げてしまう事により、死ねば人生の苦しさから逃げる事が出来るという印象を周囲の者に与えてしまうため。(苦難を乗り越えてこそ人生の面白味があるのではないのだろうか)
2、残された者への様々な責任を放棄してしまうため。
3、残された者の大半に悲しみを与えてしまうため。
4、他に対して思いやりのない最低の人としての行いであるため。
5、臨終行儀がとても劣悪な事が多いため。
6、自殺の仕方にもよりますが事後処理がとても苦労するため。
 他のも列挙できるのではないかと思いますが、いずれにしても誉める事ができるのは1つも存在しないのではないのでしょうか。
 上記の1についての補足になるかもしれませんが、仏教用語でこの世を忍土と表現するそうです。
 また耐えるという字は「た」という接頭語に「得る」が接合して出来上がった言葉だそうですが、前記の忍土と合わせて考えますと何事にも耐え忍べばこの世では必ず何かを得る事が出来るかもしれないが、それが出来なければ何も得られないのが人生ではないのだろうかとそれぞれの言葉から伺えるのではないのでしょうか。
 したがって人生には楽しみは少なく耐え忍ばなくてはならない体験がたくさん降りかかってくる事を暫定に生き抜いて行かなくてはならないのではないのかと諭されているようにも思われます。
 自殺を選択してしまう人々の大半が、この耐え忍ぶ力のとても弱い状態のある人ではないかと考えます。
 ではいったいどうすれば、この耐え忍ぶ力が養われ人生の様々の苦難に打ち勝っていける事が出来ていくのでしょうか。
 答えは宗教による教育の普及が重要性ではないかと思っています。
 私は宗教を倫理・道徳・哲学・法律等の根本思想を下支えしている、あたかも大地のような存在が宗教思想だととらえています。また、人の受け止め方でこれほど異なった道筋が生じてしまうのも宗教ではないかと考えていますし、だからこれほど多種雑多な宗教が氾濫しているのだと思っていますし、どんな宗教を選択するかもとても重要となるでしょう。
 諸外国では宗教思想が国家を形成し、生活事態の根底を育んでいるにもかかわらず我が国では何故かご法度のような扱いをされてきたのは何故でしょうか。
それはおそらくカルト思想・軍国主義・全体主義がイコール宗教思想というように日本人は宗教思想に過去の陰性感情をダブらせ目を背ける傾向にあったのではないのでしょうか。同時に高度成長期も重なり、あたかも幸せが物の量に比例して獲得できるのではないかと錯覚し、心の文明が置き去りにされてしまったのです。
そのため人々は物やお金に偏ってしまった心の作用しか持たないようになってしまい,気付き始めた時は後戻りしにくいバリアーだらけの生活環境を創造してしまったのではないのでしょうか。
自殺者の増加はこんなところに楔を打っている1つの警鐘の様に私は思います。
 一見すると関係の無いような事でも奥深い今日までの人々の歴史の積み重ねが隠されているように思われます。