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 フィンランドの熊祭りをご紹介します。

 元の原文ではカルト、つまり神秘の行事として紹介されています。今は無くなった祭りですが、アイヌの熊祭りとの共通点もあってちょっと不思議な気がします。
 ここで参考にしているのは、主として下記のサイトです。

http://www.finnishmyth.org/

熊まつり

どこで熊は生まれたのか?
どこで獣はつくられたのか?
月によって、
月日とともに、
の肩に乗って。
それから、銀のくさりに繋がれて、
金のひもで降ろされる。
 熊(karhu)・森の王様ははフィンランドの古代の森の中で最も崇拝されていた動物でしたし、今もそうです。熊の誕生は非常に古い時代で、 このパワフルな動物と原始人の関係はトーテム崇拝の中にルートを持つ旧石器時代だろうと思われます。
 そのようなことから、熊はどの種族にとってもシンボルであり、聖なる動物でした。こうした理由から、決して狩ることをしない地域もありました。 シャーマニズムも熊と密接な関係があって、ときに熊がシャーマンの精霊として現れることもあるようです。
 北方の古代の神話では、熊と、すべての人類の原始の母との結婚が語られています。これが、のちに Karhun vakat とかKarhun peijaisetとかの、熊を狩りが成功したときの祭りに反映されました。この祭りでは、象徴的な結婚によって、その家族に再統合されるということになっています。
 ここに16世紀の熊祭りをくわしく書いたものがあります。それによると、熊は森で殺され皮をはがれます。そして、その肉と毛皮が村に持ち帰られます。エールが醸されて熊の肉が聖餐として供されます。祭りは大きな建物のなかで催されます。一組の少年、少女が象徴的な花婿、花嫁として選ばれます。祭りの間、熊の頭蓋は皿に載せて部屋に持ち込まれ、長いテーブルの最上席に置かれます。花婿、花嫁はその反対側に座ります。聖餐が終わると慣例の祈りが捧げられます。
 熊の頭蓋は行列を作って聖なる松の大木のところに運ばれ、高い枝に取り付けられます。この時、殺された熊と原始の熊の母、ホンゴタールとの対話の形で歌が捧げられます。
 歌の中で、熊は、自分の運命を嘆きます。それから、熊の骨は松の木の下に埋められます。この祭礼の重要な役目は頭蓋が朽ちるのを防ぐことにあります。
 熊の頭蓋は聖なるものであって、損じたりするのはタブーでした。木から取り外したりすることは厳しく禁止されていました。この大事に保存する意味は、熊の霊魂が大地に帰って、また、獲物として帰ってこれるようにすることにあります。
私は小さな子供、
まだ、大人になっていない。
その私が矢を作り、
その私が弓を引き、
この荒野の黄金の王を殺した。
強くはなかった、私ほどには、
この、ほんの子供ほどには。
お前はホンギッコから来た、
お前の家族はホンゴタールから。
さあ、お前の家族の誕生を歌おう。

私はほんの子供、
その私が鍋を取りに行く。
私は家族で一番、小さい。
その私が森に肉を取りに行く。
鍋はそれを料理するために。
お前が気づく前に、
トウヒの木の下で、
お前は死んで横たわった。
さあ、聖なる鍋を用意しよう。
さあ、聖なる松の木を祝福しよう、
の枝のある木を。

 あまりにもアイヌの熊祭りと共通点があると言いましたが。引用させていただいた下の文章を見てください。
土地は誰のものかより引用

 アイヌ先住民族の人々にとって熊は、神の国から毛皮という素晴らしい着物を着て、肉という美味しくて栄養の豊富な食べ物を背負い、おまけに熊の胆(い)という万病の薬まで持参して、私たち人間の住むこの下界に、わざわざ訪れてくれる、素晴らしい神様からの贈り物なのですね。、いや、贈り物どころか、アイヌの人々にとって、熊は神様そのものなのですね。熊のことをアイヌ語では「キムン・カムイ」といいますが、これは「kimun」(山の)+「kamuy」(神)という意味なのですね。
・・・・
 イヨマンテは、これほど大切な神様の子である小熊(ペウレ)を、一年間ほど家で育ててから、花矢を放って射殺し、もといた神の国へと送り帰してやる神聖な宗教儀式のことなのです。
 アイヌ部落「コタン」の片隅に必ず設けられている小熊を飼育するための檻の中に小熊に餌を与えて、よく飼いならしておいた小熊を、祭り場へ引き出し、花飾りを着けた矢で射殺します。小熊は怯えて、吠え立てながら無残にも殺されていきます。
 それから、その小熊をすぐに解体して、脳味噌などを取り去った頭部に念入りにお化粧して、地面に突き刺した太い木の枝の先に取り付けて、人の着物を着せ、柳の木を削って作った白い「イナウ」(削り花)をささげ、丁寧に祭りの準備を進めます。
 このイヨマンテを執り行うアイヌの人々は、心身共に疲労しクタクタに疲れるほどに緊張し、精魂込めて、このお祭りを行います。そばで、それを見ている私でも、かなり疲労感を感じるほどです。
 殺される前のいたいけな小熊の姿と、着物で美しく着飾った頭蓋骨に、幾度も深深と頭を下げて祈りを捧げるアイヌの人々の姿が心に焼きつきます。
 それまでは大切に、大切に育ててきたその可愛い小熊の生きた命をわざわざ絶ち、これ以上に無いほどに心を込めた丁重な儀式で神の国へと送り出すのだろうか?という、素朴な疑問を抱かれる方も多いでしょうね。
 でも、これは、アイヌ先住民族と熊との間だけの「特殊な行事」「訳のわからない未開な人々の残酷な宗教行事」などではないのですね。私たち人間は、自分たちの生き方を謙虚に見つめ直す時、何かにつけて、自分以外の他の生き物の命を犠牲にしなければ生きられない・・それが人間が生きることなのだ・・・という厳粛な事実から目を背けて、単にこのアイヌ先住民族の伝統的熊送りの儀式を「野蛮だ」「残酷だ」と言い切ってしまうことは出来ないのではないでしょうか?いや、アイヌ先住民族の人々ほど、他の生き物の命を犠牲にすることでしか生き延びることが出来ない存在、それが人間なのだ、
ということを、はっきり自覚してきている人々は少ないのではないでしょうか?

もう一つ、引用させてもらいます。
イオマンテとミアンゲより引用

 梅原によれば、アイヌのイオマンテ(熊送りの祭り)は、縄文人のあの世観を伝えている好例である。熊は人間に熊の肉という「ミアンゲ」をもってこの世に現れたマラプト(客人)なのだ。「ミアンゲ」は「身をあげる」という意味で、人間は仔熊を捕まえて大切に育て、ちょうど美味しくなったら、その肉をいただくのである。アイヌの日常の食事は木の実、山菜、魚だから、お祭りの日にいただく熊の肉は最上の御馳走だったのである。熊の肉を食べ、血をすすって熊と人の一体を誓う。そして酒・魚・穀類等の土産を供えて熊送りの儀式を、夕暮れに行うのだ。この世の夕暮れはあの世の朝にあたるのだから。
 あの世では熊も人間の姿をして、家族生活を営んでいるといわれている。そこでイオマンテであの世に戻ってきた熊が、人間に歓待され、大切に育てられて、土産もどっさり貰ってきたと報告すると、熊の家族はそれはよかった、それなら来年は私がミアンゲをもって、つまり熊の姿になっていこうかということになる。おかげで、毎年熊がどっさり取れるということになるのだそうだ。

 この類似性はどこから来ているのでしょうか? 同じような気候で、同じように熊の恩恵にあずかっていた民族は、こうした、親近感と崇拝、それに私が思うに、この少なからぬ恩恵を受けながら、また、立ち上がると人の姿にも近いこの動物を殺す罪悪感が、自らを納得させるための儀式を要求するのかも知れません。
 アイヌとフィンランドをつなぐ線があるとすれば、ロシアにもあるはずです。ネットで調べてみたら、ありました。熊を殺すかどうかまでは分かりませんが、スラブ研究センター内の研究会・セミナーでは、シベリアか講師を招いて「ハンティの熊祭り」という講演会を開いたそうで、ビデオもあった、ということです。また、ロシア人はよく、粗暴なイメージで熊呼ばわりされますが、モスクワオリンピックのマスコットキャラが「小熊のミーシャ」だったように、むしろ、愛着があるようです。
 ロシアの熊祭りで熊を殺すか?、"bear festival" と Russiaで検索してみました。これが無数に出てきました。検索画面だけ見ても間違いありません、これはアイヌの熊祭りと同じです。殺す前に何年か檻で飼うという記述があります。シベリアの北東部、アムール川近くのウルチ、北西部ではウラル地方、それからアラスカもあります。ずーっと西の国を見ていくと、ドイツにもあり、オランダには Big Bear Festivalというのがあり、イギリスには Straw Bear Festivalというのがあります。西の方に行くと、殺したりするのではなくテディベアのようなぬいぐるみが主役で、楽しい行事になって、イギリスではわら人形になります。西の方では早くに獲りつくして、郷愁だけが残っていたのかも知れません。西の方はキリスト教の影響を受けるのも早く、土着の祭礼みたいなのが消えるか形を変えるかするのも早かったのかも知れません。
 スラブ研究センターにリンクの許可をお願いしておいたところ、民俗学がご専門の北海道大学・スラブ研究センター・井上紘一先生から丁寧な返事がありました。

オビ・ウゴル(ハンティ、マンシ)も熊を殺します。彼らは、カレヴァラにおける
と同様、狩猟で仕留めた折に祭りを執行します。この点が、育てた仔熊を殺すアイ
ヌとは大きく異なりますが、起源そのものは共通と考えています。
 この引用の許可をお願いしたところ、下記の補足をいただきました。

但し、下記のサイトでの記載とは若干齟齬をきたします。
事実、飼い熊を殺すのは、アイヌとその周辺の極東諸民族(ニヴフ、ウリチ、ネギダ
ル、エウェンキ、エウェン、ナーナイ等)だけに限られます。殺すことはしませんが
仔熊を飼育したとの記録は、管見の限り、そのほかに中部シベリアのケットでも知ら
れています。詳しくは小生の論文を御参照ください。

ということでした。

06/Feb/14 北大北方資料室のアイヌの熊祭りを描いた絵のページからこちらのページに来た人がいました。大事に扱って、次ぎに子供がよってたかってという感じです。

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