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シリア(Syria ) .sy

首都 ダマスカス (116 万) (Damascus)

 国際電話番号 +963

 地中海東端に臨む西アジアの国; 公式名 シリアアラブ共和国) 人口 17,584,540人(2002)。国土面積 185,150 km2ほとんどがアラブ人, ほかにクルド人, アルメニア人など. 言語: Arabic (公用語), French, English, Kurdish. 宗教: イスラム教スンニー派が大多数ですが、キリスト教徒も10%くらい、シリア正教会というのがあります。 通貨: pound。もとフランス委任統治領 (1920-44)。
  地球上最古の古代文化の中心の一つがこの地です。1975年に発見された遺跡は、BC 2500〜2400年のもので、紅海の北からトルコ、東はメソポタミアまで達するセム族の帝国のものだということです。以来、カナーン人、フェニキア人、ヘブライ人、エジプト人、シュメール人、アラム人(キリストとその弟子たちの母国語はアラム語だったということです。)、アッシリア人、バビロニア人、ヒッタイト人、ペルシャ人、ギリシャ人、ローマ人、ナバテア人 Nabataean、ビザンチン人、アラブ人、十字軍、モンゴル人の占領するところとなり、それからオスマントルコです。
 キリストの母国語があったくらいですから、昔はキリスト教とも縁が深く、パウロが最初に教会を建てたのも古代シリアのアンティオケ
だったということです。今でこそ、キリスト教徒は1割程度ですが、ダマスカス、聖書の中ではダマスコの世界最古のイスラム寺院、ウマイヤ・モスクの中には、イエス・キリストに洗礼を施した「洗礼者ヨハネ」の墓があるそうです。
 洗礼とはキリスト教の儀式だと思いましたが、実はキリスト以前にあったからキリストが洗礼を受けるわけで、ユダヤ人として生まれたキリストはユダヤ教の預言者ヨハネから洗礼を受けるわけです。つまり、ユダヤ教が洗礼の本元です。ユダヤ教の洗礼はユダヤ教に改宗するときに、以前のけがれを清める意味のようですが、キリスト教の方も似た意味でしょう。ちなみにキリストはユダヤの王と呼ばれたことはあってもキリスト教の教祖ではなく、彼自身はユダヤ教徒だったようで、キリスト教は彼の死後に作られたもののようです。キリストがユダヤ教と言っても、「目には目を、歯には歯を」から、「汝の敵を愛せよ、右の頬を打たれなば左の頬も打たせよ」に転換させる宗教改革者だったわけで、ユダヤ教では破戒もいいところでしょう。しかし、このキリスト教を象徴するような教えですが、十字軍このかた、キリスト教者がこの教えを尊重した形跡はありません。ブッシュさんは敬虔なクリスチャンなんだそうですね。何でこんな話になったんでしょう?
 ところが7世紀にイスラム教が興ってシリアはその中心地の一つになりました。セルジュク・トルコとか十字軍の侵略の後、13世紀にはモンゴル人がやってきて、徹底的に破壊します。1516年にオットーマン・トルコが占領してアラブ人が完全に掌握することになりました。このオットーマン帝国が第一次世界大戦中に崩壊してイギリスとフランスが分割することになり、シリアはレバノンと併せてフランスの委任統治領になっていましたが、1944年に独立を果たしました。
 その後の10年ほどで数回の軍事クーデターがあり、20の内閣が出来て憲法は四回書き直されました。1956年にソ連と条約を結んで武器援助を受けるようになり、旧宗主国との反目からソ連に接近していたナセルのエジプトと1958年に統一アラブ共和国としての国家統合を決定しました。結局は実現には至りませんでしたが。その後、何回ものクーデターがあって最終的にアラブ社会主義復活党、つまりバース党が政権を握り、1963年にはエジプトと、同じくバース党が支配するイラクと連邦を組む合意をしたのですが、これも今度はバース党内部で対立を生じて実現には至らず、次はイラクとの統合を模索しましたが、これも今度はイラクのバース党政権が倒れて沙汰止みになりました。イラクとの関係は複雑です。1980年のイラク・イラン戦争ではイラン側につき、1990年の第一次湾岸戦争ではアメリカ側についています。そして第二次湾岸戦争ではイラク攻撃に反対しています。つまり、アメリカとは反対側にいます。そして今、アメリカからはテロ支援国家とみなされています。
 一方、1948年には第一次中東戦争に参加し、ゴラン高原を要塞化してイスラエルを脅かしていましたが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに逆に占領されました。1973年にはエジプトと組んでラマダン戦争、イスラエル側では Yom Kipur戦争、あるいは第四次中東戦争と呼ばれる奇襲攻撃
をかけますが、これも跳ね返されました。
 国名の由来ですが、アッシリアAsshur「日の出、東方(アジアと同語源)」と西アジアの北部に興った国からスリア「北の国」と、二つの説があります。ほかにも、Tyreという、フェニキア時代の港湾都市、今はレバノンの小都市ですが、Tireの人をTyrianと呼び、このチリアンから来たといのものありますが、アッシリアからというのが一番有力のようです。また、シリアの歴史学者は B.C 539年にバビロンを征服したペルシャ王 Cyrunに由来すると言っているようです。ほかにもいくつかあるようです。
 国旗の赤色は剣と革命を、白色は善と平和を、緑は大地の恵みを、黒色は過去の戦いを象徴する。二つの星はエジプトとアラブ連合共和国を結成したときの名残で、アラブ諸国の団結を意味している。 ということです。
 シリアの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
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