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セントヘレナ(St. Helena)
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首都 ジェームズタウン (?) (Jamestown) アフリカ西海岸沖の英領の火山島でナポレオン 1 世流刑 (1815-21) の地です。人口 7,367人(2003)、面積 410 km2。アメリカ、カリフォルニア州にはセントヘレナ山 Mt.St.Helenaという死火山があります。また、ワシントン州にはセントへレンズ山 Mt.St.Helensという火山があります。セント・ヘレナはコンスタンティヌスI世(272-337)の母で、命によりイエス・キリストの遺物を探して、2世紀にハドリアヌス帝により、キリストの墓が破壊されて、その上にヴィーナスの神殿が造られていた所を掘り返して、十字架を三つ見つけ、そのうちの一つで病女に触れたところ、たちどころに病が癒えたので、これが「真の十字架」というわけで、その発見者として聖女になったようです。しかし、なぜ彼女の名前が火山ばかりに冠されるのか、アメリカの方は形が似てるとかしたのでしょう。イギリス系の人には縁起のいい名前なのかも知れません。そういえば、彼女の生まれには異説があって、かつてイギリスがブリテンだった時代の王女だっという伝説があるそうですが証拠は見つかっていません。Wikipediaでは生まれはコンスタンティノープルの宿屋の娘ということになっています。
 この島は1502年にポルトガルの航海士 Juan da Nova Castellaが多分セント・ヘレナの日(ローマ・カソリックでは8月18日、正教会では3月21日ですが、ポルトガルですから多分、8月18日でしょう)に発見したと言われ、イギリスの東インド会社が1659年に植民し、以後、スエズ運河が開通するまではインド洋への中継地として戦略的な位置を占めていたようですが、今はナポレオンの最期の地、その他、流刑の地であることを種にした観光だけが売り物で、イギリス本国からの援助で成り立っているようです。
 一口にセントヘレナと言っても実は島嶼郡としてのセントヘレナは広大な海域に散らばった島々を言うようです。その中には1,000 kmくらい北のアセンション島や、2000 kmくらい南の島々(人が住むのはトリスタン・ダ・クーニャ Tristan da Cunha島だけのようですが。発見者のポルトガル人の名前のようです。)があり、そのほか、南アフリカが運用している気象台がある Gough島、人の住まない Nightingale群島などを含みます。
 紋章の鳥はセントヘレナに住む千鳥の一種で wirebird、針金みたいな固い草の中に住む鳥だそうです。下は要するに三本マストの船がいる崖の多い、代表的風景のようです。
 セント・ヘレナはローマ時代の三世紀、生まれは今はトルコの Nicomediaで、出自は高貴というわけではなかったようですが、東ローマ皇帝・コンスタンティウス I世の正妻になり、西ローマ帝国をも併合することになるコンスタンティン帝の母となります。その後、離婚されるのですが、これは西ローマ帝国を後見することになり、西ローマ帝国のMaximianus Herculius帝の、まま娘 Theodoraと政略結婚するためだったようです。彼女は敬虔なキリスト教徒となり、あちこちに教会を建てます。パレスチナやイスラエルにも、コンスタンティン皇帝の遠征にともなって、あるらしいです。つまり帝の支援は失っていなかったということです。彼女は慈悲深く、皇帝の権勢もあって聖女の仲間入りすることになったようです。
南大西洋の地図 南緯 15°あたり、アフリカのアンゴラのはるか沖です。
↓セントヘレナの地図