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パラウ(パラオ)(Palau) .pw

首都 コロール(Koror)

 パラウ諸島。太平洋西部の Caroline 諸島中の島群です。公式名 パラオ共和国、Republic of Palau、パラオ語だと Belu'u era Belauです。面積 458 km2、人口 19,092。1994年11月に独立しました。言語は英語、Palauan。Palauanの中には多数の日本語が含まれるということです。通貨は米ドルです。
 紀元前 1000年ごろにはインドネシア方面から人が住み着いていただろうということですが、ヨーロッパ人が最初に目にしたのは 1543年、スペイン人の探検家 Ruy Lopez de Villalobosが最初に目にしましたが、18世紀、イギリスが始めるまでは通商はありませんでした。ヨーロッパ人がもちこんだ天然痘と鉄砲は、この島の人にとっては大変な災厄で、内戦も誘発して人口は1/10にまで減ったということです。19世紀後半になってスペインが領有し、布教したりしますが、植民はしなかったようです。そして、アメリカとキューバの領有についての米西戦争で財政難に陥り、1899年にドイツに売り渡します。ドイツは鉱物資源など、産業開発はしたものの、いわゆる植民はこれもしなかったようです。
 第一次大戦が始まると、日本軍が占領し、終戦後は国連の信託統治領として日本が統治し、かなり大規模に植民されました。第二次大戦になり、パラオは米軍との間で激戦地になり、2万人以上の死者を出します。そして日本は敗退し、終戦後はアメリカの信託統治領になります。その後、ミクロネシアと連邦を結成する動きもありましたが、1979年、住民投票により、独立の道をとることになり、その過程で対立があって暗殺などがあったようですが、1994年に独立を果たしました。
 国名はマレー語のプラウpulau「島」の意というのもありますが、Belauというのが現地の人の正しい名前で、スペイン人がそれを Los Palaosと呼び、イギリス人は The Pelew Islandsと呼び、最後にドイツ人が Palauとしたということです。Belauはマレー語のpulauの訛った形なのかも知れません。アメリカにあるパラオ大使館のホームページを見ると、確かに自分たちはベラウ人 Belauanだが、Palauでも別にかまわないと思っているようです。
 国旗は1994年、パラオがアメリカから独立した際に、国民からの一般公募によって制定された国旗。青は南太平洋、黄色の丸は満月を表わしている。 日の丸のデザインが元になっているが、パラオ国旗の満月は中心ではない。これは、旗がなびいた時に中心に見えるようにと旗竿側に寄せてあるのだが、日本に失礼だからわざと中心をはずしたとの考え方もあり、パラオの人々の慎み深い心を表している。というのがあります。とにかく、日本の発想が影響しているようではあります。1991年に自治領として共和国を名乗ったときに定められたというのもあります。どちらでもいいですけど。
 パラオの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
パラオの歴史 在アメリカ・パラオ大使館 →オセアニアの地図

↓パラウの地図