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ハンガリー(Hungary) .hu

首都 ブダペスト (206 万) (Budapest)

 東欧の国、 ハンガリー語名は Magyarorszag。公式名 ハンガリー共和国, 1000 万。マジャール人が大部分. 言語: Hungarian. 宗教: カトリックが約 3 分の 2,カルヴァン派, ルター派など. 通貨: forint。
 ハンガリーの国名は、その昔、高校時代の世界史で、東洋からフンがやってきて、その名残がハンガリーで、Hungaryの Hunはフンなのだ、と聞きました。そのフンが何者かについては、何の説明もなく、ジンギスカンなのか?などと思っていましたが、そう簡単ではないようです。ここで、説明できる自信もないので『世界の国と文化と民族と......』の関連の部分の引用を下にお示しします。
 ハンガリー(Hungary)は「フン族の土地」の意味。5世紀にアッティラ率いるフン族に支配されたことがあり、その後スラブ、ゲルマン、アヴァールなどの民族なども侵入し9世紀末に(フン族に連なると言われる)マジャール人がドナウ盆地に定住したため、ハンガリー語では国名をMagyarorszag、自分達をMagyar(マジャール人)と言っている。 フン族はもともとは中央アジアにいたトルコ系の遊牧騎馬民族で、その後西進するにつれてフィン人、イラン人、スラブ人と混血したらしい。アヴァール人ももとは中央アジアに住んでいたモンゴル系遊牧民族で、後にマジャール人と混血したらしい。  前3世紀頃から蒙古高原で勢力を伸ばし、秦や漢の中国と敵対した遊牧騎馬民族の「匈奴」の一部が西に逃れてフン族になったとも言われているが明らかではない。ただ、中国ではこれが定説になっているらしく、ハンガリーのことを中国語では「匈牙利」、即ち、「匈奴の土地」という(「匈」は意訳、「牙利」は - garyの音訳で、発音は「シオンヤリ」。中国語による外国の地名は、意訳と音読が混在していて、しかも音読でありながら、方言が多いせいで、正確な音になっていない場合も多い。「カナダ」なんかは、「加掌大」と書いておきながら、普通話の発音は「ジャナダ」だからね)。
 ハンガリー人もフィンランド人もトルコ人も、ヨーロッパから見るとユーラシア大陸のヨーロッパ以外の地域から来た民族、即ち、「アジアの民族」だと言われているため、また印欧語族ではないために、日本人は自分たちと同じ「モンゴロイド」の血が多く混じっていると錯角している人がいるけれども、「中央アジア」やウラル地方が故郷の民族で、もともと「コーカソイド」のDNAの方がはるかに強いし、今は「ヨーロッパ人」のDNAもかなり混じっている。ヨーロッパ人にとって、極東を含む東アジア、東南アジア、南アジアよりも、中央アジア、西アジア、小アジアなどの「アジア」の方が身近で、日本人の感覚と異なることに注意。 従って、「アジア人=モンゴロイド」という先入観は捨てなければならない。
 このほか、自称マジャール Magyar 。モンゴル人を指すペルシア語のムガール「強い人」が転訛したといわれる。ハンガリーの語源については、諸説あるが、この地に同化したフン族の名に由来する説が有力。「フン」は「人」 Hungarvaia の略といわれている。というのもあります。
 ほかにも中国語の「匈牙利」は後の世に西洋ではフンは匈奴であるということになっているのを知って字を当てたもので、もともとジンギスカンの元が攻め入ったときは、馬札兒」(マジャール)と呼んでいたというハンガリーの学者の説が大修館書店『月刊しにか』2000年3月号、94〜99ページの中にあります。
 フンとマジャールの関係については下の URLにある記述が気になります。耳にしたことのない人名、名称が出てきて翻訳するのも気が引けるので原文を示しておきます。おおまかにはフンもマジャールも起源は同じであるということのようです。
http://www.russia.com/forums/printthread.php3?threadid=9887
The Hungarians, who call themselves Magyar, have an ancient traditional pre-christian account of their origins according to which they were the descendents of Nimrod (also spelled as Nimrud), son of Cush; Nimrod and Eneth had two sons, Magor and Hunor; Magor was the ancestor of the Magyars, and Hunor was the ancestor of the Huns, thus symbolizing the common origins of the Huns and of the Magyars. Ancient Byzantine sources mention that the Magyars were also known as the Sabirs who originated from Northern Mesopotamia, which was referred to as Subir-ki by the Sumerians who also originated from this land. Numerous other ancient and medieval sources also refer to the Scythians, Huns, Avars and Magyars as identical peoples.
 歴史として少し系統だった説明では、Árpd、という人物が 9世紀にマジャール族を率いてやってきて、ハンガリーのもとになり、1000年にはハンガリー王国が成立して、けっこう周辺に文化的影響を与えて黄金時代もあったようです。ところが、16世紀はじめにオットーマン・トルコに征服され、さらに、17世紀にかけてオーストリアに征服されて、オーストリア・ハンガリー帝国の一部になりますが、1867年に一応、自治権を得ました。第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊すると、ハンガリーは領土も人口も縮小されますが、1918年に完全独立を宣言します。いろいろないざこざも1920年に解決し、王様のいない王国となり、1930年代、こんどはナチの影響下に入ります。そして第二次大戦が終わると、今度はソ連圏に取り込まれ、また、しばらく苦難の道がつづき、1991年にソ連邦が崩壊して、ようやく、本来の独立を取り戻し、1999年にはNATOに加盟し、2004年5月にはヨーロッパ連合に加盟することになっています。
 国旗のデザインはフランスのトリコロールにならって、1848年に初めて登場したということですが、赤、白、緑の色については 9世紀に遡るということです。1945年までは、中央に王冠の紋章があったそうです。その後、1949年にハンガリー人民共和国として独立というか、ソ連圏に取り込まれ、このとき制定された国旗は、現在の3色旗の中央にハンマーと小麦の紋章が描かれたものでしたが、1956年にハンガリー動乱が起こり、独自の民主化路線を打ち出すとともにこの紋章は取り除かれました。

国立民族博物館展示・ハンガリーの牧童のコート
 ハンガリーの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
ハンガリー政府観光局によるハンガリー料理(日本語 101のレシピ)
ハンガリー大使館 →ヨーロッパの地図

↓ハンガリーの地図<