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ガーナ(Ghana) .gh

首都 アクラ (63 万) (Accra 旧称 Gold Coast)

 国際電話番号 +233

 西アフリカ Guinea 湾に臨む国; 公式名 ガーナ共和国。国土面積 238,540 km2。 人口 21,029,853人(2005)。アカン族(ファンティ族とトゥィ族とに分かれるようです), エウェ族, ガー族、など多部族. 公用語: English。 アカン語というのもあって、ガーナの大部分およびコートディヴォアールの一部で用いられているそうです。エウェ族というのは、ガーナ、トーゴおよびベニンに住む黒人の一部族だということで、エウェ語 Eweもあるらしいです。その他 ガー語 Ga, トゥィ語Twi, Dagbani, ファンティ語 Fanteなどがあります。どうも部族名と言語名とが一致しません。アカン族は英語版のには登場しませんが、日本語版にはあり、調べてみるとアカン語というのはすトゥィ語、ファンティ語の入り交じったもののようです。 宗教: キリスト教, イスラム, 土着信仰. 通貨: cedi。
 以前はGold Coast 黄金海岸と呼ばれていました。いくつもの部族が王国を形成していたようで、南の方がファンティ、ガー、エウェ族、北の方がアシャンティと呼ばれる1670年に形成されたファンティとトゥィの連合体で、これがある時期は南の海岸まで達していたということです。一番北の方はサヘル Sahelと呼ばれるサハラ砂漠の南側のアフリカ大陸を横切る比較的肥沃なサバンナ地帯で騎馬民族が出入りし、マリ帝国や、つぎにはフラニ帝国などが支配していました。ガーナの人々は伝承によれば主としてサヘルの西部・今日のモーリタニアやマリから移住してきたと言われています。
 最初にヨーロッパ人に出会ったのはファンティ族で、はポルトガル人1470年に黄金海岸にやってきてファンティ族のエルミナ王(Elminaは町の名前です)に出会ったのが最初です。1482年には商業基地としてエルミナ城(ポルトガル語では Mina城のようです)を造ります。その後1553年にイギリスの商業船が来て、以後スウェーデン、デンマーク、オランダ、ドイツがあちこちを占拠しました。現在のトーゴ海岸はドイツが確保したようです。
 イギリス人はファンティ族と上手に付き合い、それがもとでファンティ族と、彼らを臣従させていたアシャンティ帝国との間で1806年、長い戦いになります。イギリスはポルトガル人の カボ・コルソの町を分捕って Cape coastと名付けます。カボ・コルソ意味は同じですが。これが首都の役割をし、その住人は英語を習い、広めました。ケープ・コーストには最初のイギリスの学校ができました。
 イギリス人はファンティ族に代わってアシャンティ帝国と戦い1902年には北方も保護領とします。トーゴランドはドイツが植民地にしていましたが、1922年に国際連盟の信託領となり、1957年には国連の信託領になり、予定ではガーナが独立するときには一緒になることになっていました。その後、順調に独立に向けて憲法の制定、選挙が行われ、1957年3月に独立の運びになりました。
 独立後のガーナは社会主義国を目指し、反対勢力は裁判なしの拘留などで押さえ、1960年にはエンクルマ大統領 Nkrumahを終身大統領とし、新聞などの出版の検閲し、1964年には一党独裁の形になります。これはそう長い間つづいたわけでもなく、1966年には軍と警察、それにアメリカの特殊部隊が組んで政権を倒し憲法は停止されます。
 その後は1969年、1970年、1972年、1975年、1978年、1979年と目まぐるしく政権は交代します。軍事政権から民政に戻ろうと選挙も行われ、西欧風の憲法もできたりするのですが、そのたびに政権の腐敗と経済不安でクーデターとかになります。とにかく民主化とか地方分権とかの試みは続いて1992年には一応、外見的には公平な選挙が実施され、軌道に乗りかけていますが、まだまだ安定にはいたらないようです。
 国名は4 - 13世紀に栄えたガーナ帝国に由来するということです。ガーナは王の尊称だったということですがが確かではないようです。ガーナを国名にしたのは1957年の独立の時です。ヨーロッパの植民地から独立した最初の国だということです。Wikipediaによると、実際にガーナ帝国があったのは現在のガーナの北西だったということですが、それが移住して来たということらしいです。
 国旗の赤、黄、緑は汎アフリカ色と呼ばれていて、多くの国がこの組み合わせを使っています。赤は独立のための戦いを、黄色は金鉱山に代表される豊かな地下資源を、緑色は豊かな森林と実りある農業を象徴する、ということです。中央の黒い星は、アフリカの独立運動の父といわれガーナ共和国の初代大統領である、Kwame Nkrumah を表わすんだそうです。金と言えば、昔はこのガーナの海岸はゴールドコーストと呼ばれていたということです。
 金が主に採れたのは、かつてこの国にあった数ある王国のうちのアシャンティ王国 Ashantiで、今はアシャンティ州になっていますが鉱山があり、黄金王国の別名をもっていて金の祭りはなかなかのもののようです。王国は世襲制ではありませんが形式的には残っているようです。このアシャンティの人々が話すのがアカン語のようです。
 この国の風習に関してボールバイソンという蛇に対する特別の信仰みたいなものを紹介したサイトがあります。→駐日ガーナ大使館(外務省のページで住所がわかるだけです。)
アフリカの地図

↓ガーナの地図