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スペイン(Spain) .es

首都 マドリード (327 万) (Madrid)

 ヨーロッパ南西部の国、国土面積 504,782km2。人口 43,209,511人(2005年7月)。ピレネー山脈 Pyrenees 西部にはバスク人 (Basque)がいて、バスク語という、他言語との類縁関係は不明な言葉を話し、独立運動が盛んです。
 英語の Spainは、Hispaniaというフェニキア語からきているらしいです。このHispaniaが何から来ているかというと、何でもウサギや犬がたくさんいたということで、ウサギを意味するshaphan、あるいは犬を意味する hispanから来たという説と、ギリシャ語で日の沈む国という意味の hesperiaから来たという説があるようです。あと、バスク語の ezpana(岸の意)から、というのもあります。スペインはイベリア半島にあるわけですが、この Iberiaはケルト語からきたもののようです。スペイン人自身はエスパーニャと呼んでいるそうです。
 最初はケルト人が居て、次にフェニキア人が来て、ギリシャ人が来て、ローマ人が来て、8世紀にはムーア人が来てという具合に変遷して、今のスペインに近くなったのは15世紀末のイザベラ I世の時代のようです。この女王がコロンブスに大航海の金を与え、この投資がアメリカからの富を得るのに大いに役立って、またたくまにヨーロッパの最強国にのし上がりました。
 いろいろな民族が出入りした関係で、バスク以外にも、別言語とも言えるような方言があるようです。アメリカ大陸でのスペイン語は南西部のもののようです。
 スペインの歴史はポルトガルの歴史と重なっています。本人たちがどう思おうと、スペインとポルトガルは区別できないくらいの同一文化をもっているようです。
 国旗の真ん中の紋章はさすが南欧の国、派手なデザインです。これからもわかるとおり、立憲君主国です。スペイン王はあまり、話題に上ることはありませんが、無敵艦隊の時代から続いているわけです。現在の国旗は1885年に当時のチャールズIII世が、他のヨーロッパの国と見分けがつきやすいように変えたということです。これで大きく簡素化されたののだそうで、それ以前の紋章はは派手さは同じですが、複雑すぎて、何が書いてあるのかよくわかりません。バスクの紋章との関係があるので、この紋章について少し説明しておきます。王冠の下の楯が四つに区切られていますが、それらは13世紀当時のスペインを構成していた王国の紋章です。左上がカスティーリャ王国 Castile(英語はカスティーリャとは読めませんが、原語は Castillaです。お菓子のカステラは、これのポルトガル語読みらしいです。)右上がレオン王国 Leon、左下がアラゴン王国 Aragon、右下がナバラ王国 Navarre(原語は Navarra)です。WikipediaにはWikipediaには1210年頃のスペインの地図が出ていますが、南の方は当時はイスラムになっています。ここにはコルドバ教主国、グラナダ首長国とイスラムが支配していて、このグラナダを示しているのが楯の下の双葉マークです。
 レオン王国があってレオンという地名があるところを見れば、ここにはライオンが居たわけです。実はヨーロッパの地中海沿岸にはライオンが生息していて、ローマ時代の闘技場で闘技士と戦わされたライオンもアフリカから連れてきたというわけではないようです。ヘロドトスもアリストートルもライオンの生息について触れていますしアレキサンダー大王はライオン狩りが好きだったようです。。調べてみると、アジアにも、これがヨーロッパのライオン同種のようですがアジアライオンが居て、今はインドのグジャラート州ギル保護区(地図もあります。)に保護されています。たて髪がアフリカのものに比べて短いのが特徴です。リンクしたサイトのアレキサンダーのライオン狩りを見ても確かにたて髪は短いようです。ヨーロッパのライオンは絶滅して今は郷愁となって、多数の王国の紋章にライオンが登場します。
 ときどきバスク Basqueの国旗というか州旗を探して来る人がいるようなので、載せておきます。この旗はバスク語では Ikurriña イクリーニャと呼ばれるようですが、意味は単に旗だそうです。しかしイクリーニャは言えばバスク国旗を指します。この国旗の赤地は、その昔のビスケー地方 Biscay(バスク語では Vizcayaあるいは Bizcaia)の旗の地色で、ビスケー地方を意味しています。緑色の斜め十字は聖アンドルーの十字架と呼ばれていて、独立の象徴です。なぜ緑色かと言うと、バスク人の精神的中心であり、バスクの自由の象徴でもあるゲルニカの樫の木を象徴するもので、白の十字は神を意味しています。ゲルニカてここだったのですね。なぜゲルニカがナチスに爆撃されたのか? 1937年、この時点ではスペインは共和国で、その政府はバスク地方の自治を認めていました。一方、フランコ将軍は市民戦線とか言って反乱軍だったわけですが、バスク地方の人々は自治を認める共和国政府側について、フランコ将軍に手を焼かせていたのです。フランコはナチスと親交があり、ナチスはバスク地方の鉱物資源に気があって、将軍の要請に応じて、ゲルニカの町を無差別爆撃したのです。これがピカソのゲルニカの絵画のモチーフになっているわけです。ついでにゲルニカ Gernica の位置が分かる地図を示しておきます。ビルバオ Bilbaoの東 9 kmくらいの所です。聖アンドルーはキリストの12使徒の一人で日本ではアンデレとかアンドレと呼ばれています。聖アンドルーの十字架についてですが、867年、聖アンドルーの日に周辺の王国との間に戦場の石がみんな血に染まったという激戦があったということで独立の象徴になっているわけです。何で斜めの十字架かというと、処刑されたときの十字架が斜めになっていたのだそうです。この聖アンドルーはスコットランドの守護聖人なんだそうで、イギリスの国旗の中にやはりこの斜めの十字架があります。
 「バスクの紋章」のキーワードで、このページが再々ヒットしています。探してみました。ちょっと曰く因縁があります。まず、左が英語版・世界の国旗にあるものです。これが国旗の真ん中にくるわけです。左上の図柄はいったい何なんでしょう?ライオンがクレーンを操作しているように見えます。ビルを建てているのでしょうか? 右側はWikipediaにあるものです。今度は右下には図柄が無くて赤の無地です。これはどうしたことでしょう。さらに英語版・世界の国旗の別のサイトに行くと右下の紋章に出会います。今度はビルの頭が王冠のようになって全体としてガンダム戦士みたいなのが剣を振り上げているようです。右上のもよく見ると剣を持っているようです。もう一度 1210年当時のスペインの地図と下のバスクの地図を比べると当時のナバラ王国の中にバスクがあるようです。多分カスティーリャにも引っかかっているのでしょう。右上はスペインの紋章と比べるとカスティーリャとレオンを合体させたもののようです。実は、この地図より後の時代、カスティーリャがレオンを吸収合併しているのです。右下はスペインの紋章の右下と良く似ていて、実はナバラ県からクレームがついているわけです。バスク人が居るのはナバラのごく一部で、ナバラの紋章を使うのは怪しからんというわけです。という次第で現在では右下のものが正式ということになるようです。色も何度か変わっています。右上はバスクの独立の象徴とされ、ナチスの空爆にも生き残ったゲルニカの木(カシの木 oakのようです)。左下もゲルニカの木のようで、元々は3本あったのが死に絶えたのです。最後の1本も2004年春に寿命になったということです。なぜ波の上にあるのかは皆目わかりません。スペインの紋章にも波がありますから、海洋立国であることを示すのかもしれません。

 バスク人はフランスとスペインにまたがって住んでいますが、スペイン語だとヴァスコ Vascoのようです。ヴァスコ・ダ・ガマのヴァスコです。彼はポルトガル人で別にバスク人というわけではありません。しかし、まんざら関係ないわけでもないようです。ポルトガル語では Bascoです。Basqueはフランス語です。Websterの辞書によると英語としての Vascoは烏という意味のようですが、関係はないでしょう。バスクというのは言語的にも文化的にもスペインともフランスとも違った特有の文化らしいです。独立運動が盛んでテロなどがあるのはスペイン側ですが、下の地図に見るように州というか、県名は Pais Vasco つまりバスコ国となっています。英語では Basque countryです。それだけバスク地方の人の意向を重んじているということではあるでしょう。バスクのスペイン側の地図をこの下に、フランス側の地図をそのまた下に示しておきます。スペイン側の地図の海の部分はビスケー湾 Gulf of Biscayですが、スペイン語では Golfo de Vizcaya ビズカヤ湾、その下のフランス側の地図では Golfe de Gascogne ガスコーニュ湾です。Cote Basqueとあるのはバスク海岸という意味です。 このビスケー湾は以前、日清製粉のホームページでビスケットの由来と関係があるように紹介されていたことがあって、実は間違いのようですが、今でもその話はネットで語り継がれています。その昔、1860年とまで記されていますが、ビスケー湾で難破したイギリス船の乗組員たちはが水びたしになった小麦粉や砂糖で即席の菓子を焼いてビスケー湾に因んで,ビスケットと呼んだ、というものですが、この亜流もあってビスケー湾から船出する船員達が持って行ったので、ビスキュイと呼ぶようになった、とも言われています。実際はビスケットの英語 Biscuitは Bisが二倍とか二回とかを意味し、cuitが調理する とか焼くとかの意味のラテン語から来ていて、ケーキとかパンの生地を焼いたものを さらによく乾燥させて日持ちがよくなるよう 低温で焼いたというところから来ているようです。Wikipediaによるとイギリスでは日本で言うクッキーも含めてビスケットと呼び、アメリカではどちらもクッキーと呼ぶようです。


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