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サハラアラブ民主共和国 (Sahara Arab Democratic Republic) .eh
(西サハラ (Western Sahara) )

首都 ラアユーン (Layoune)

 アフリカ北西部, 24万。モロッコの南に隣接する地域, 旧スペイン領サハラ (Spanish Sahara) でしたが、1976 年に ポリサリオ戦線という西サハラの独立を目指すゲリラ組織(Polisario) が Western Sahara の独立を宣言して樹立した国です。
 どうも Western Sahara (西サハラ)の方が通りが良さそうです。1976年の時点では、モロッコが北の三分の二を実質的に属領にして、1979年にはモーリタニアの撤退にともなって全土を属領にしていたようです。1991年にようやく国連の調停により、モロッコの支配は脱したようですが、モロッコの条約批准は2000年の1月現在ではまだのようです。国土面積 266,000 km2、人口 382,617人(2007推定)。言語はアラビア語とスペイン語で公用語はまだ決まっていないようです。宗教はイスラム・スンニ派です。
 歴史上で最初に記録された住民はバフォール族 Bafourという農耕民族のようですが、ベルベル語の民族に吸収され、8世紀にはアラブ人が入ってきて入り交じったようです。アラビア語を話す人口はベルベル人の流れのようです。自称は11世紀にイェーメンから入植したベニ・ハッサンの末裔だということです。
 身体的特徴は周辺の国と違いはないようですが、文化的には周辺国はフランスの影響が強いのに対し、西サハラはスペインの影響が大きいということです。宗教はスンニ派ですが、サハラ諸国と同じく、宗教的な習俗はイスラム以前のベルベル族、アフリカ的習俗の影響が大きいようで、都市部は別として基本的にモスクは無く、遊牧生活に適合
しています。北部にはモロッコが教育、近代化インフラストラクチャに関してかなりの投資をしていて、数千人がモロッコの大学で学んでいるということです。
 国旗はポリサリオ戦線のもので、黒が死を、緑が生命を、白が平和を表しています。2000年1月段階では、上から黒、緑、白ですが、正式に国家として認められたときには、順序を逆にするんだそうです。
 ここの首都は研究社 リーダーズ+プラス辞典ではわからなくて、世界の国々/国勢一覧表で調べました。→アフリカの地図

↓西サハラの地図